九月

 この六月、相模原市教育研究会の需めに応じて、蓼科高原の自然の村で、「川柳の心」を講義したがその奇縁が効を奏し、研究所で川柳を作ってみようということになった。
 朝の打ち合わせの時の司会がみんなの作品を披露し、お互い批判の進言をして、ちょっとした報告書が出来上がった。
 まだ初心者ばかりだから妙に言葉の綾にこだわるものがあるが、
  意気込んで持ち帰る本
        子守唄
なんか、ちょっと牽かれる。
 「常日頃勉強が大事だと感じていて、たまたまいい本を見つけて持って帰ったが、いざとなると、目の疲れが瞼に襲いかかり、三ページ目の前半で船頭さんになってしまった」と註にある。そこを子守唄に掛けている。
 研鑽佳句を祈るわけだが、この相模原市に在住していた藤沢三春さんが東筑摩郡生坂村に帰郷された。この十九日に長野県川柳大会を松本市で開催したが、交通事情の混雑もあって、〆切ぎりぎりの時間にやっと見えた。
 席題の選者を予定していたのだが、何かの都合で欠席かと西貝篤さんに頼んでしまった。東京柳界で活躍していたから、こののちとも親交は絶やさないだろう。でも長野県柳界に顔を出すことが多くなると期待している。
 旧松本高等学校の記念祭がこの程行われ、武藤禎夫さんがお見えになった。例により事務所の狭い場所で雑談を交した。
 クラス会は南安曇郡穂高町のホテルで二十人くらいの集まりで楽しく過ごし、翌朝は母校の県が森公園でお出でになったという。
 ところで天保三年に松本の高美甚左衛門を訪ねた柳亭種彦のことで、知人を通じ問い合わせがあったが、種彦のことでお話を承り大変たのしかった。
 甚左衛門は日記を刻明にしたためているので、高美書店主に連絡したら、来歴らしいところをコピーしていただいた。早速送って役に立つことが出来たらと思っている。ちょいちょい頼まれることがあり、犀の飛ぶ下石の間を人の波の柳多留一四八に就いて、或る人の紹介があり知っただけ届けた。