七月

 信州博覧会とタイアップイベントの国宝松本城400年まつりが、七月十七日から開かれることになり、県内は勿論、県外で活躍している県人会のメンバーも率先参加する向きがあり、全国からの希望者を加え、前人気が上々の様子。
 私の住んでいる通りは松本城に近く、ほんの二、三分のところにある。松本城の広場を運動場にしていた松本中学校の歴史は古く、私が学んだのは大正末期から昭和の初めに掛けてだが、校門を入るすぐ目の前に小林有也(うなり)の胸像があって、必ず脱帽して入ることになっていた。
 初代校長として三十年の長きに亘り勤められ、生徒に自治活動を容認して、相談会、矯風会などを通じ生徒間の意思疎通を促し、運動会、遠足の日取り、運営を生徒に委任させたものだった。
 松本城の改築修理にも尽力し、文化財の保護のうえで功績があり頌徳の意を通じて、胸像の建立になった経緯がある。
 胸像と言えば石膏で作製された川柳作家麻生路郎の像が私の居室にある。ちょっと微笑を湛えられた貌が印象的だ。しばし苦吟を重ねているとき、この像は励ましを与えてくれるので頼もしい。
 同じくらいの大きさだが、小沢不可思の雅号を持つ小沢沖太郎がつくった幡隆生人の全像を持っている。町内に住んでいて楽焼に堪能、小さな鳥や雪洞の作製をしたものだが、自慢にしていた幡隆上人像は、特に頌けていただいたもので、ご厚意に報いるべくガラスの箱を特製して貰って入れてあるが、実は槍ヶ岳開山の祖と称される経歴を持つ人。
 鋳物の聖徳太子像を父がどこかで入手した。今は私が大切にしている。少し重い。かなり古いものだとその道に詳しい人が鑑定してくれた。
 仙台の川柳杜人社はよく講話や選者に呼んでくれたが、割に大きいコケシをいただき大事にして飾ってある。
 郷土玩具蒐集でやっと肥後の木ノ葉猿を見つけ当時自慢にしたもの。猿がおのれのリンガを押し立てているもので、焼きは茶色系、素朴さが卓越している。手を添えて愛想笑い。