二月
年賀状の代りに年毎に、立春大吉と朱書して、二月の初めに挨拶状をいただく差出人は、畏友内山一也君である。
神奈川県大磯町に住んでいるがことしの初日の出は、東側に松が多くて見にくく、近くの丘まで出かけたとある。
生きてゐて真赤な
初日を拝みけり 一草
歎息めいた(生きてゐて)の語句が、同年輩として八十有歳思いありを深めてくれた。
古歌に
わが庵は松原つづき海近く
富士の高嶺を軒場にぞ見る
大磯へ引き越した頃は、この歌の通りで、我が意を得たのだったのに、その後富士の見える方角に家が立ちならび、わが家から見えなくなったと添え書きしている。
富士がよく見えて高値の
家屋敷 柳多留八九
そんな句を思い出した。今は高層ビルが輪奐として聳え立ち、富士山は望めない。
快晴さ富士の裾野に
江戸の町 柳多留三六
晴れ上がった空のもと、富士を遠望出来、江戸の町が裾野であるようなのに気がつくのだ。
越後屋の春正面に
富士を見せ 柳多留一一九
日本橋の呉服屋(いまの三越)から見えるけだかさ。
富士からも見えそふなもの
日本橋 柳多留一〇〇
どうしてなんだろうと不思議がってる。
松本市老人クラブ川柳まつもとグループを世話しているが、正月句会に「富士山」を詠んでもらった。嬉しがっているようだった。
銭湯の湯気に浮き立つ
富士の山 静枝
大衆風呂には何といってもよく似合う絵柄だ。
下手な絵も富士は笑顔で
見下ろして ちい坊
八十の手習い、自分なり気の絵を書いて、友達に差し上げながら悦に入ってるあどけなさ。
皇太子妃決まり紅富士
色さやか 杏仁
富士山は何万という
四季のうた ち得子
富士を夢みた今年こそ
賭けておく ふじい