一月

 雪のまだない、おだやかな元旦を迎える。二夫婦、孫三人が揃ってお屠蘇を酌む。高校生の女の子だけは遠慮する。旧臘、帰って来た大学生の男の子が、大柄な細長いカバンを持っていたので、何かと訊いたら三味線だと言う。
 いろいろ考えた挙句、三味線部に加入したとのこと。早速弾いて見てくれ。臆する風もなく撥を当てて聴かせてくれた。帰宅早々、挨拶もなしにぶっつけ一曲となったのだが、お屠蘇の酔いにかられて自分から弾くかと思ったけれど、そこまで脱線はしない。
 下宿で習っているとも思えないが、さすがに家に帰った安心感か、たまたま弾いていた。
 うちでは初詣では近所の神社を回るが、そのあとお墓参りをすることにしている。元日早くもお墓参りかといぶかる人もあるかも知れぬが、長い間の習わしになっており、手を合わせじっと構えると故人との隔たりを近づかせ、自分がいま新しい年を迎えた知らせになって落ち着く。
 それから小高い城山に登り、遥か日本アルプスを眺めやる。白皚々、山は何かを問うている。そんな気持ちを抱いてわが家へ。
 待っていたように年賀状が声を掛けたそうだ。一枚々々賀詞を手にとって、その尊名をたしかめてゆく。卒寿を越え合った友人のつぶやきにうなずくのだ。
 親しくしているような気でいて空しく逢えずに年を越したと思いお互いの無沙汰を詫びたがる、新年になって幽明境を異にする知人のことをふと思ったりする。
 お自分の名前を書き忘れたのがある。毎年この例は数通。目をつぶって感謝のひととき。
 昼寝はいただかず、ごろりと寝そべっている家族たち。私もこれに習ってひと眠り。
 テレビを観たくなり、笑点スペシャルに合わす。お馴染みの面々、仮装マジックに興じて笑わす。あと小朝の落語。
 金子成人作「女太陽伝」とやらを披露。なかなか面白く聴かせてくれる。やゝ艶笑めかしたお正月風の筋。みずから志した吉原廓内での収入はいらない女太陽族大石主税との同衾の記憶をよみがえらすオチ。髪の匂いのめでたさ。