四月

 「江戸名所張交(はりまぜ)図絵」の版木が五十三枚もアメリカで見つかった。安藤広重の描いた浮世絵であるが、その一部と思われるけれど、伊場屋仙次郎版という十二枚は、東海銀行貨幣資料館蔵の図録のなかにあるのを見たことがある。
 図柄の違った数種が一枚物になっている。これを適当に切り取り屏風などに張る趣向であることをTBS系のワイド番組「ブロードキャスター」で放映されて興味をそそらせた。現代版木師が作品を摺ってゆく実技も紹介した。
 拙誌昭和二十三年六月号の口絵として川上澄生アイヌの老婆」の版画が載っているが、まだ北海道におられた頃のことである。この版木はいまも残っている。
 そして前川千帆の「雲雀」の版木は資料のつもりで保管してあり蔵書票用で、昭和十三年三月号の「書物展望」表紙に掲載された。当時愛書家のエキスリブリスがよく紹介されたが、斎藤昌三の奨めがあった筈である。
 最近、青森市のさいとう・よねじろうさんから前号のこの欄にふれ、前川千帆を初め池辺鈞、宮尾しげを等の面々が、浅虫温泉に一泊、大喜びして頂いた旨、お手紙が寄せられた。石川一郎さんが清水対角坊でなく、清水対岳坊の誤植を指摘、長野県下伊那出身、昭和四十五年物故となかなか詳しいのには驚いた。顔触れからすると、対岳坊も連れ立ったかも知れない。
 よねじろうさんによれば、「古書通信」一月号から「日本の蔵書票と作品」を執筆しておられるお様子、そこで千帆について私に問い合わせがあった。
 千帆の一番古いと覚しい蔵書票は私のものだと言うのである。快く思い出を少々伝えておいた。
 斎藤昌三の「蔵書票の話」は昭和四年八月六日、文芸市場社から刊行され稀本だが、幸いにも間もなく古本屋から入手出来た。実物貼付に中川紀元作品がある。長野県上伊那郡出身の洋画家。そのときとてもなつかしかった。のち知遇を得て拙宅で、好意的に私の肖像を揮毫して下さった。いま蔵書票を知りたい方は樋田直人の「蔵書票の魅力」(丸善)が格好。千帆のものも例証されている。