三月

 日曜日毎に発行されるタプロイド倍判二つ折りの新聞がある。お正月号に(わたしの年賀状)の特集で、私も頼まれ、年賀状に生きて思いつのらせる そう墨書したのが載った。
 春陽会の画家とか、史談会会長とか、お寺の住職とか、留学生とか、みんな上手で、自分のは見劣りして恥ずかしかった。
 いい歳をしてという愧じらいが少し胸のなかにあったが、いつの間にか忘れてしまい、昭和三十一年秋に出た前川千帆の閑中閑本第拾七冊 炉辺漫談帖 を丹念に見ていたら面白い記事に出会った。
 この閑中閑本は折畳みの版画帖でみんな揃うと弐拾七冊になる。
 前川千帆(せんぱん)と言っても知らない人があろうが、大正から昭和にかけて漫画家として、また版画家として活躍した。現に矢野錦波、川上三太郎撰輯の川柳漫画全集をひも繙くと、その名があり、宮尾しげを、清水対角坊、池辺鈞、田中比左良、細木原青起水島爾保布ら錚々たる連中が並ぶ。
 さて炉辺漫談帖だが、いろいろ面白いのがあるうち、千帆の額にめぐり合ったという話というのは、浅虫へ泊った晩、青森へねぶたを見に行った帰り、場末の古道具屋を覗いて驚いた。千帆去来と書いた額が、店いっぱいにかかっていた。不意打ちを喰ったような気がして少しテレ臭くなって逃げ帰った。誰の字か知らない。
 文章と共に千帆が驚いている様子が版画数度摺りになっている。
 私が自分と同じ民郎で間違えられて、テレビだかラジオだか放送局から、貴句を拝借したという手紙と一緒に大枚の報酬料を送られ驚いたことがある。間違いだからと返金したが、実は大島民郎という俳人だったわけ。藤岡筑邨の信濃秀句一〇〇選に 高原のいづこより来て打つ田かも がある。
 私は蕎麦屋に頼まれて書いた 弁天で知った手打ちのそばの味 という句ののれんを見せに友人を連れてゆく。でも麗々しく指さすことは決してしない。気づいてくれたらのほんの気持ちになっていることはたしかだ。
 事務所に岸本水府の五句の茶掛けを掛けてある。旨いなあ。
 雪に来てさて割箸も憎からず