二月

 小さな事務所の西窓から太陽の光線が入って来て明るい。夏だとすだれを下ろす。少し窓を開け、風が吹いてくれるのは夕方。蝶が飛び込んだりする。
 小柄なストーブ、薬罐をかけ湯気のあがるのを見て、冬に構える日を過ごす。ここに居る時間は一日中で一番長い。外来者との応対もある。
 実兄には子供がなく、病身の奥さんを持って長く暮らしていたがその兄が不治の病床に就いたので看護代りに手伝うことになり、逝くなるまで苦労したという話を前触れに、その奥さんも兄を追うように他界、やっと自分の家に帰って来たという挨拶状を印刷してくれと頼まれた。二年もわが家に留守、子供たちはよく頑張ってくれたと言い足した。
 壁にある茶掛けの一幅は神戸の椙元紋太さんの作品。五句のうち
  身の上を初めて聞いて
      疑はず
 それを話すと、うなずいたようであった。
 中学時代、修学旅行は関西と決まっていて、湊川神社に寄り、須磨の海岸まで足を延ばした。
 それから八年経た昭和九年に、神戸の川嶋右次さんから乞われて「詠楠百絶」を印刷してあげた。楠公を詠んだ漢詩百絶である。
 当地方松崎和紙を使用、二ツ折り変型版。楠公、桜井訣別、湊川懐古、題画の項目を挙げて並ぶ。伊藤仁斎蒲生君平、広瀬淡窓、梁川星巌【梁は難読字で記載】、吉田松陰、藤田幽谷、山岡鉄舟林羅山山崎闇斎頼山陽等々百人。
 頭注に略歴を付す。佐久間象山では名啓、信濃松代藩士、勤皇家元治元年歿、五四とある。ほかに信濃高遠藩儒、高橋白山。
  楠も桜で莟追ひかへし
       (柳多留七九)
 古川柳では平仮名がまじる。
 長く松本に住んでおられた誌友池田正受郎さんは、このほど国分寺市に移られたが、少年時代から親しんだ「偶成」西郷隆盛、「楓橋夜泊」張継など、多くの人の吟詠三十三編を評釈した「漢詩」発刊、なお自分の創作十五編も載せておられる。九十歳。
  前号訂正
    杉浦武四郎は松浦武四郎