一月

 全国天気予報をテレビで観ていると、寒いところは北海道で零下何度とある。その次は大抵わが住む長野県に決まっているようだ。
 その北海道の十勝地方の銘菓、(ひとつ鍋)(らんらん納豆)それに(大平原)を前月号のこの欄で紹介したら、長野県小県郡真田町横沢に住んでおられる岡村マリさんがお手紙を寄せて下さった。あの文章が懐かしかったと言う。岡村さんは北海道生まれ、石狩川に鉄橋が架かる前渡舟で、江別市の町へ買い物に家族の者に連れて行って貰ったとおっしゃる。
 「十勝日記」の甘い茶菓は思い出の品とあって、こちらも何となく嬉しかった。
 伊勢の人、杉浦武四郎が北海道を探検し、山や川、それに部落を記入した地図を作り、紀行文数冊を編み、十勝日記はその一巻、安政五年(一八五八年)頃の、十勝地方の実情をつぶさに記したもの。その表紙その他を転写複製し、それが菓子箱に模されている。
 部厚いから容れものになり、なかなか重宝。表紙を開くと、序文一丁オモテを読むことが出来、開拓の昔日を偲ぶに足る。帙糸を忘れないでかしこまる。
 どうした吹き回しか、友人が丹波地方の黒大豆入りやきもちを送ってくれた。但馬地方と境を接しているのだが、水田づくりに恵まれなかった丹波。雑穀や果実などに力を入れたせいもあって、黒大豆の菓子がつくられた。
 ほんの山一つ越えれば京の都、地の利を得て改良に努め、丹波栗と共に大豆も黒豆として名高くなったとか。
 その京都で第十一回全国都道府県対抗、女子駅伝記念大会が一月十二日に開催された。うちの孫の隆実は長野県の選手に選ばれ、第八コースを受け持って力走した。常勝の京都が優勝、長野県は十五位だった。昨年よりも好成績で大いに唸る。
 隆実の母親は商用を兼ねて上洛、大会で声援を送って帰る道すがら、京大附近にたくさんの山茶花が美しく咲き誇るを見、民家に乞うて少々を貰う。
 中学三年の隆実は、聖護院の生八ツ橋を買って帰った。先生二つ宛、級友一つ宛、家族一箱。