十二月

 うちの「百趣」の店にアルバイトをやっている女子大学生の妹は十二月二十四日生まれだという。忠臣蔵の討入りの壮挙で有名だから誰でも気軽に覚えていて、誕生日が来ると、きまったようにおめでとうと声を掛けられるそうだ。にこにこした顔が浮んで来る。
 やがてクリスマスで誰もかれも関心を持ち、一年に一回のデコレーションケーキを買い求めるいい機会、私のところもその部類に入る。ナイフの入れかたはおばあさんが退いて、おかあさんになった。口出しはしないで黙って見ているようだ。
 また年を一つ取ることになる。うちの妹は一月一日生まれ。自分で自慢しない代りに、自他共に許した気でいるのはたしか。
 打ち明け話では十二月の差し迫った日に産声をあげたが、ちょっとずらして元旦に縁起をかついだのだとか。
 私と十二歳違う同じ戌どし。昭和の初め、子供相手に物を売る一銭店によく出掛けた。私と一緒のときを越えて、ひとりで行くようになってから好みを変えた。男の子と異る嗜好があったわけだ。
 丸山太郎の「鶏肋集」にある(福徳煎餅)は私も妹も興味を持って求めたものだ。一枚のせんべいを三つに折って袋のようにし、その中に小さな玩具が入っていた。
 鉛で出来た電車、人力車、土焼きの人形など。振るとカタコト音がして、しないのはごく小さな豆本が入っていた。
 鉄砲玉という黒砂糖の丸めたもの、ごま糖、つくしん棒は甘かった。小さな紙にニッキ水をにじませたものをよくしゃぶった。
 いまも続いているが一月の飴市の塩俵をかたどった袋飴、ちぎった福助飴、サクサク飴もなつかしい。上杉謙信の義侠で宿敵の武田信玄のもとへ塩を届ける道すがら松本を通ったときに因んだ飴市。
 長く北海道に住んでいてこちらへ赴任された知人から、お土産だと言って十勝地方の開拓の先駆を成した記念の(ひとつ鍋)とか(らんらん納豆)、地名をあらわした(大平原)などのお菓子をいただいた。
 それぞれ土地の歴史に刻まれた甘味のふくよかさ。