八月

 どの新聞も八十歳を強調する意味合いがあった。それはたしかなことだったから、何の苦にもならず、八十をひっさげで挑む小天下の句が出来ていた。
 当日は信越放送、テレビ信州の取材が待っており、また翌日も長野放送が取りかこみ、あとで放送を観たが、やっぱり八十の実像はうなずけたのである。
 信州大学人文学部の非常勤講師の人たちとしばしば控室で会ったが、みんな溌剌とした若々しい印象を受けた。
 一時間半ずつの講義だから、なるべくきちんと結びをつけるように心掛け、最初は枕として前身松高時代の教授の触れ合いを語り、それから県民性に及び、県歌信濃国を低唱して聞かせる。
 そして本題に入り、俳句と川柳との違いを原典にかえることとし正月、春夏秋冬のいくつかの句を挙げる。小西来山、炭太祇、高井几薫、建部巣兆、横井也有など、柳多留何篇と出所を明らかに。
  うたた寝の枕四五冊引ぬかれ
           柳多留二
 これを解説したあと、四書五経にまつわる中国笑話でどっと湧かせ、小さなものへの愛で、
  朝風に毛を吹かれ居る毛虫かな
           与謝蕪村
  突あたり何か囁き蟻わかれ
         柳多留一〇一
 同想句の問題をとらえ
  大根引大根で道を教へけり
           小林一茶
  ひんぬいた大根で道をおしへられ
           柳多留一
  抜いた大根で道を教へる
           武玉川四
 それから俳諧、前句付、万句合、柄井八右衛門、柳多留の型の如くそして目指すは信濃の風物、人物となる。松本の川柳作家が江戸との交流の記録としての天白両社を皮切りに、兎田、塩尻峠、佐々木高綱を経て、善光寺では落語「お血脈」を前座のお粗末で語る。
 雷電為右衛門の手形から諏訪湖、河合曽良、絵島、木曽節、寝覚床、旭将軍木曽義仲など信濃総まくり
 そしてアイドル(信濃者)でにっこりさせ、「古今田舎樽」出版のいきさつ、方言句。終わりに文化十一年七月晦日に来た十返舎一九と高美甚左衛門の眤懇譚。