三月

 一度も行ったことのない遠いところからも、立派な川柳雑誌をいただく。こちらもお返しのつもりで田舎じみた、少しはローカル味を添えたかなと思われそうな雑誌を送っている。見ぬ土地だけにお互い未知への誘いにかられるような気がする。
 本命は弘く川柳を伝達し、親睦をはかりつつも、精進を目指すところにある。自己の求める川柳の質を披露すべく、作品や句評をひっさげ批判を待つ。
 敢えて直言を仰いで誌上に発表し、それに応える意見も載せ活性化の雑誌となる。快い刺戟が意欲を盛り上げてくれるのだ。
 他誌にない内容を考え、独特な企画を樹てて注目を浴び、同好者を喜ばす。課題吟の発表に心遣いを掛け、投稿者に対する信頼感を呼び覚ますような向き方を試みる。
 作品を名指して、これは川柳の域を脱し、散文詩のつもりらしいが、川柳の伝統のいのちを削ぐものだと指摘する。新しがり屋だけですまされない問題だという。非難する前に精々よく頭を冷やして来いというのが難解句。
 フランスの象徴派詩人マラルメの作品は晦渋を以てきこえている。ある日、自分の詩を弟子達に読んで聞かせた。弟子達はすっかり感心してしまった挙句、各々その解釈を試みた。あるものは美しい夕焼の空を歌ったものだといい、あるものは荘厳な日の出を詠んだものだといった。最期にマラルメが解答した。
  「これはね、これは僕の肘掛椅子の歌なんだ」
 「玉石集」にあるはなしだが、作者の解釈よりずっと離れて理解させる作品は、広がりを見せ、悠然と厳然と真実味があるせいだという。

 難解句は古川柳にもある。駄労解と名付けて後考に俟つ句に出っ食わす。現代川柳とは次元が違い風俗、慣習、人情、世相など取り巻く環境の察知に、時代を越えた未開拓の要素が含む壁がある。
 開くすべもなき遠き過去の古川柳作家、現実に論客めいて対応すべく立ち上がる現代川柳作家、篤と傾聴に価しよう。それともおとなしく自句自註とゆくか。