一月

  年賀状が来た分だけ返事のつもりで差し出す人がいるが、中には寒中見舞に替えて、少し正月気分が過ぎた頃、挨拶を寄こす、これもいい考えである。
  受付日には到底覚束なくて、年末のぎりぎりに投函した。それで元旦に届いてくれたらと願ったが恐らく市内だけはそうだろうが、県外はもっと先になったと思う。
  宛名を書いているうち、ちょっとした書き損じでも棄てないで、そのままにしてから、似通った住所の人を探す。結構それで足りるものだ。いい案配に番地だけちょっと違っていると、誠に書きやすい。そういうことがいくつもあった。
  書き損じの年賀状をくずかごに捨てないで、私たちに送ってくださいという記事が新聞に載っていた。札幌いちご会で、障害を持つ人で自立した生活を願っている。書き損じのはがきは五円納入すると郵便局で四十一円はがきと交換できる。それで賃金を集めているわけだ。「郵政省が売り出す年賀状の一割、約四億枚が使われずに終わるらしいのです。そのほんの一部でも送っていただけたら…」と願っているのだが、さて郵政省はどうだろう。
  商売柄、一字のミスで印刷をし直すときがある。無駄になった官製はがきは泣き寝入りだったものを、五円足すと新しいのと交換できるのは何時からだったろうか。印刷所としては一大福音である。
  お年玉つき年賀はがきは昭和二十四年から発売になった。新機軸で平素苦にしなかった人たちに人気を呼んで投函数を増した。
  特別扱いになったのは昭和三十二年、どうも長いおつき合いだ。印刷業界は年末謝恩セールで、年賀状印刷代五千円毎に抽せん券を進呈、三枚に一本ワインが必ず当る宣伝文句が利いて評判がよくもう松本では四年目になる。
  隣の第一勧業銀行で宝くじ売り場の顔馴染みの人が年賀状を注文してくれたので、一枚抽せん券を差し上げたが、見事当たって窓口にワインを持って行ったら、何やらクスクス笑っていた。何か因縁があるからなのかも知れない。
  年賀状は下さる方にうらみっこなし、精々四等か五等で決まる。