九月

 毎年、鈴虫を孵化しつづけている友人から、いくつか頒けて貰った。偶々、ガラス張りの巣箱があった。湿った砂地に胡瓜と茄子をただ置くのではなく、楊枝を挿した方がよいと教えて下さった。
 腹が減ると共食いしかねないから、たまに干した小魚を刻んでやるといいと言う。
 孵化するまでの経路を話してくれたけれど、これは私には覚束なく、ただ傾聴するだけだった。
 人の出入りの傍にあるせいか、滅多に鳴かない。夕闇が迫ってくると、それを知ったかのように、触感と言うのか、リーンリーンと美しい音色を披露してくれる。
 毎朝、巣箱の小窓を開けてご機嫌をうかがう。胡瓜につかまっていて放れないのや、砂地に落ち着いて、安住の様子である。
 からだの部分をすり合わせて鳴く音を発するのだが、まともに見たいと思っても、じっと我慢してその時機を待つ暇をこしらえないでいる。
  鈴虫はぺんぺん草で
   音も出さず  柳多留三三
 奥様と愛妾との確執。
  あやまりに来て鈴虫の
   鳴く座敷    良祐
 飼わなくとも鳴くのはある。
  かうろぎで女房昼寝の
   目を覚まし  柳多留五四
  コオロギのお前も
   畳で死にたいか  春子
 彼等はみんな食べるには食べるが、入歯するまでもない境涯。
    入歯
 初会の座敷、女郎、袖にて口を覆ひ居る。客、廻り気にて、「おれが息でも臭さに、さうしているか」「いゝへ。アノゆふべ、傍輩衆と狂ひやして、麁相で柱へ前歯を打ちつけてやして、つい欠けやした」と袖を取れば、なるほど向歯(むこうば)一枚かけてあり。客やがて小粒を出し、墨にて塗り、「どれ、入歯をやらふ」と、さしこみたれば、丁度よく、常の歯並になりたり。そののち、うらに行きけるに、またもとのごとく歯ぬけて見れば、「先途の入歯はどうした」と聞けば、「中の町で、巾着切に吸ひ取られうやした」。
   (飛談語、安永二年刊)
 持ちつ持たれつ愛咬あって一瞬闇に失せた金の入歯の小ささよ。