五月

 雨が降るとどうも日本アルプスは煙って見えない。折角遠くから来たひとで残念がる人もいよう。麻生路郎師もそのひとりで、松本駅に迎えた日、雨だった。
    雨の松本にて
 遠く来て信濃に山のない
       日なり
を旅中吟とした。
 またかと言われそうだが
 名所にもならで信濃
       なつの雪
 これは当地で発行された文化年間の「古今田舎樽」のうちから。
 心のふるさと民謡の時間で、日曜日にラジオで放送されるのをよく聴くが、信州からのものはごく稀で、大凡東北地方の名曲というのが幅を利かす。
 こちらの安曇節に
 日本アルプスどの山見ても
  雪の姿で夏になる
 宴席でよく唄われる。五月でも六月でも、一番残雪が濃いのは乗鞍岳である。素晴らしく白一色の鞍に似ていて端正だ。
 乗鞍をまことにいへばただ白く
  山の間に見し峰をそを我れは
           長塚 節
 明治四十四年、乗鞍岳を想ふより一首を挙げる。
 節は明治四十一年、四十二年、四十三年ごろは、写生文、小説の方に一心を集注し、その方が歌よりもおもしろく感ぜられたので、作歌が少く、明治四十四年の如きは、「乗鞍岳を想ふ」十四首のみであったと斎藤茂吉の解説にある。
 ところで五月はいろんな花が咲き誇る季節だが、ボタンも賑やかな花容を見せる。松本市大村の玄向寺は松本城主水野家の菩提寺として知られているが、ボタン寺と言われるほど見事な赤、黄、白の色のまばゆい景観で、訪れる人が多い。
 初めてボタンが植えられたのは明治十八年の頃と言い、それから引き継いで四代の住職が、だんだん増やしての九百株に近い。
 槍ヶ岳開山の祖と言われる播隆上人は初心を貫くべくこの玄向寺に滞在、文政十一年(一八二八)七月二十八日、登頂に成功した。さぞ感涙にむせんだことだろう。
 同寺には上人の遺品が多く、大鎌を持った上人像や、名号のある碑が建てられている。