四月

 一区切れと思えばこそ、こんどの川柳しなのの挿絵回顧展は私らしさの意義があった筈。そして出品させていただいた表紙絵、口絵、挿絵のいくつかが、ひとつずつ想いをたぎらせ、なつかしい回顧をつながらせて貰えた。
 初日早々と遠くから花生け鉢が届いた。こころのこもった贈りものである。これは出品者のおひとりで、馴染みのお名前が添えられていた。
 需めに応じては原画に向かって作者とのそも親しくなった経緯を語り、自ずと声高になった。得意がらず、つとめて抑えた気持ちを保とうと、それのみに心を配った。
 「ちょっと見せて下さい」とことわってから、並べてあった少し古い号を繙いているうち、「ワアお父さんだ」と感激の声を立てたので、お聞きするとお父さんだとおっしゃる。考えてみるともう十数年も前に熱心に私たちと句作した友だった。
 その方は中年の女性で、涙ぐんでおられ、私はその雑誌を差し上げた。その口絵もこうした邂逅にふさわしい絵柄であった。大切にしますといって辞して行った。
 作者の姉さんご夫妻が来られ、初対面だったが、作者の少年時代応募の画作が中央展で、毎年優秀賞をいただいた話をしたら、この姉さんも覚えていてなつかしがった。そして出品の裸婦の図を真ん中にはさんで写真を撮り、遠く離れている弟に送ると言った。
 回顧展が紹介された新聞記事を持っていて、私の父の作品を観せていただきにやって来たと言う。松本市内ではなく、ちょっと離れた北信のひと。
 創刊の昭和十二年時代、昭和十三年時代、四種類の松本郷土玩具に模した版画作者のご子息だった。初対面。つづけて創作する筈だったのに昭和十四年に逝くなった人。偶々張子の虎の版下も残っていて展示したが、もうあれから五十数年前になる。
 刻明にお父さんの版画作品を追究、五百点に達するという。私は二年ほどの短い交際だったが、書翰数葉を保存、これも展示したのをコピーしてほしいとおっしゃったので差し上げたばかり。