十月
▼腰が痛いとも言わず、年寄りだけの川柳句会を続けてもう十年を越えた。一番上は米寿を数えるがなかなか達者、耳が少し遠い。
余興の座意外な人が裏を見せ 呆仙人
余興だと思えずしんみり涙して 照子
それぞれが創意をのぞかせる。
なつかしいセピアの写真色褪せて 正受郎
セピア色の焼付け写真だが、お歳が知れるだろう。
ロマンスが先ず写真から産まれきた 蕗ぼこ
秘めた写真に思いが深い。
どの樹にも遠い過去あり庭師入る みゆき
遠回り病む友見舞う萩の庭 ふじい
お互いの年齢にふと触れる。
老人会昭和が増えて明るくし いくよ
昭和元年生まれで六十三歳だ。
この寒さ爺と婆にはちと堪え 志げ子
▼いまは電気こたつだが、掘りこたつが多かった家庭では、藁灰をこしらえるために、暦を見て戌の日を選んだものだ。「北安曇郡郷土誌稿」の俗言俚諺篇を見ると、(炬燵は戌の日にあけると子供が転ばない)とある。
▼「類題別番傘一万句集」を繙くと
おきごたつわが家明治を失わず 水府
置きごたつ客もどうやらやって行け 五葉
時代相をここに現す。
▼古川柳からは
智恵の出ぬ時は炬燵に腰を掛け 柳多留一五
炬燵の手明るい方を出しておき 四二
四角でも炬燵は野暮のものでなし 三八
▼高橋勝利「栗山の話」のなかに江戸見物に行った栗山の人が炬燵が初めて。庄屋さまが「お先へご免なんしょ」と言って、真っ裸になり炬燵の中を一回りしてから出て来たのを、皆も真似たとある。
▼橘正一「盛岡猥談集」では(亀の形)とか(コタツに縛られる)など、おおらかさをちりばめ、土俗的の匂いを撒いてくれる。