七月

▼つい億劫になったりして、このところさっぱり旅はしていない。旅中吟などという気の利いた収穫は縁がうすく、あまり自慢にもならず、ひとりすましをしている始末である。
▼寸暇を埋めるべく、すすんで旧跡を訪ねた旅便りいただくことが割合多く、ふと羨んだり、ふとけなるがったりする。どうして自分には恵まれて来ないのだろう、いや己自身引っ込み思案のせいで、こちらから仕向けないからなのだ。
▼季節の頃合いになると、暖いにつけ暑いにつけ、宮尾しげをさんが姿をあらわした。ひょっこりもう家内と馴染み顔に話している。本になった「粋人粋筆」に、他の人と逢ってしげをさんは旅の奇談珍談が多かった。
▼どうしたわけだったか、新聞に訃報が出てご遺族宛に悔み状を差し上げたが、これが誤報とわかり訂正の記事が掲載され、また驚いた。折角戴いた香奠だが、残念だろうがお返しすると、まもなくお手紙が来た。何か洒落を言い添えたような気がするが、忘れてしまった。
鋳金家の香取秀真さんが松本に滞在しておられ、同好の士を募って雅印の頒布会があり、私もひとつ加わった。そんな話をすると、しげをさんは香取さんとご一緒すれば、蚊は来ないだろうねえとジョークを飛ばした。おふたりとも他界されたが、作品を見るたびに重ねて思い出にたどる。
▼洋風画の創始者司馬江漢は没する五年前に、自画像の上に辞世を書いて、あちこちの知己に配った。その後は世俗の交りと縁を切り、我が家に篭って、外出もせずに暮らしていた。或る日、よんどころない用事で他出した。道すがら知人が彼の後ろ姿を見つけ、不思議に思って、「江漢先生、江漢先生ではありませんか」と呼びかけたが返事もしない。再三呼びかけると、江漢、突然振り返って、「死人がどうして物をいおう」と言ったと、「玉石集」にある。
▼生きていて、「死人がどうして物を言おう」の気概が、話として筋らしいものを感じさせる。一本取られた恰好だ。それにつけてもそつなしに思い出を残したい。