四月

▼二月九日付朝日新聞天声人語の最後に「人と野生動物は(非常の時以外は)すれちがい共存が望ましい」の読後感として三月十五日付声欄に清水雪枝さんの「タヌキ君たち少し残してね」の投書があった。小諸在住のわが誌友だから馴染み深い。
千曲川の河原に野生動物の足跡を見に行ったら、くっきりタヌキらしいのがあり、モロコシを少しでもいいから、おじさんやおばさんに残して欲しいと言う。
▼畑を作る村人たちがモロコシの被害を嘆いている様子がわかったが、キツネの敏捷さにくらべると、瓢々として間抜けに見えるタヌキ。堂々たるをぶらさげ、腰の酒の通帳がよく似合う。
▼親子タヌキを画き
 月ばかり幼なごころが
  よみがへり  前田五健
を額に入れて眺めることがある。
▼化けてもヘマをやりそうなあぶなっかしさ、でもたまに軽妙なシヤレをこなして可愛い。俚庵の号を持つ先人もあったりして、憎めないのである。落語「権兵衛狸」のように、クリクリ坊主にされた揚句、なお懲りもせずまた戸を叩いて「権兵衛、髭を剃ってくれ」の無精をさらけ出す。おどけた真顔の口っつき。
  狸と狐との出会い
 ある山里に、みやまとく介といふ古狸ありける。都にかくれなき稲荷山の長助といふ狐行合い、「さてさて、久しう打絶え、お目にかからぬ」「いかにもその通りさだめて芸があがったであらふ。何と狸、少化けてみしやれ」。とく介聞き、「いやいや。そなたの若衆に化けるが、なかなか見事じやげな、先づお手際を見ませふ。さあ所望所望」といふやいな、上々の若衆になる。狸見て、横手を打ち「さて、化けたり化けたり」といふかと思へば、狸は見えず。「これ、とく介とく介」といふてうしろを見れば、小豆飯あり。狐 きっと見て、狸めが、おれが手なみにおそれて、大事の飯米をば忘れて逃げたと見へた。日頃の好物、重畳の事と思ひ、食ひかからんとすれば、小豆飯むくむくとして、「悪洒落するな。おれじや」といふを見たれば、狸じやあったとの。(露休置土産、宝永四年刊)