三月

▼雪をいただいたままで、あたりの山々は近頃の暖冬をキョトンとしたまなざしを向けているようである。冬は冬らしく、朝の寒気の身のしまる思いをするきびしさに馴れて来たせいか、少し場違いの季節の気まぐれがもどかしい。
▼どっと暖かい日がつづいたあと、思い出したごとくに吹雪く。そしてまもなく降り休む。空はどんより曇り、山が遠く距ててうすぼんやりとなる。どの小路からも元気な姿が見えるはずなのに、だんだんと消えかけてゆく。
  横丁に一ツ宛ある芝の海
 柳多留初篇にある。まるで横丁ごとに一つずつ海があるかのような景色。閑古説によれば、無駄な描写を省いた理智的要素を含んでいる。
▼山都の松本あたりでは海でなく山が小路ごとに見えることになるわけ。高層建築は景観を妨げるという市民感覚で控えてはいるが、近代化の波はここにも及んでいる現状。こういう発見とはちがい、今は(ぐるり山々)の観察に落ち着いてもいる。
▼先頃、NHK関東甲信越小さな旅「アルプスの見える城下町 ―信州・松本」が放映され、他県から感想のいくつかのお便りをいただいた。特に松本城を型取った古書店の構築を珍しがっておられたが、実は私の家のすぐ隣で、まさか取材されていたとは知らなかった。取材の品物をさがしていた山根基世アナウンサーを見た。
▼女鳥羽川に遊びに来る水鳥の世話をする人を紹介したが、橋の上からのぞきこむように眺める女性は寺沢なおみさんで、本人から聞くと偶然孫と一緒に通り合わせたところを映されたとおっしゃった。
▼浦松佐実太郎「日本拝見」のなか(松本)を採り上げ「松本の町はどの通りへ曲ってもその突き当たりに山の姿が見える。水のように澄んだ初冬の西空を背景に北アルプスの山々が高々と聳えている。美しい三角の形をした常念岳がひときわ高く望まれる」としたあとで、松本高校を母体とした信州大学の実態を論じ、また文化の高い信州と聞いてやって来た演芸人に及び、冷やかに何か生まれ出る前の混沌だと痛い言葉で結ぶ。今はどうか。