二月

▼散歩しているとき、心安く声をかけられたのはいいが、何処の誰だか、すぐ思い出せないで、つい愛想笑いにまぎらせてしまう。先方では知った人だから親しげに対応するわけだが、こちらだけ反応が出来ず、その間のわるさがいらだたしい。
エスカレーターですれ違いしながら、やっぱり同じ気持ちを味わうことがあって、これは瞬間に別れ別れになるからあっさりしている。ばつのわるさは残るけれど。手を添えてエスカレーターを上り下りする。添えずにひとり立ちした格好の巧者もいる。動いておる階段を、よほど急ぎと見えて、二段越しに足を運ぶ人を見かけることもある。
▼階段には手すりがついて、転ばないように、踏みはずさないように手心を加えてくれるから有り難い。混雑する駅などには特に注意を払って行く。
▼ある宴席でおはこを披露する名指しを受けて開口一番「私は八十八歳になるが、友人から三つの心得を教えられた」と聞き耳を立たせ、年寄りになったという自覚で先ず転ばないこと、そして風邪を引かないこと、義理をかくことの三条件を伝授され、受け売りだがみんなに呼びかけたいといって、のち本番の調子のよい詩吟を唸らせてもらった。
▼普通、義理の受け答えを欠くことはちょっと気になるし、抵抗のある忠言だと早呑みこみしたが、その真意を年よりらしくうべなった話もしてくれた。なるほどと感心する。
永井龍男の「落葉の上を」のなかで「老いてはおのれの無力を知り、周囲に迷惑を及ぼさぬ『座』の取り方こそ自然に添ったものであろうか」の文も捨て難い。老いても処すべき行為はあるものだ。
▼そんな思いを深くしている夜、テレビで「夢を彫る男―志功の青春期より」を観た。日本のゴッホになるんだの初心を忘れず、日々の創作活動に励むドラマだが、片岡鶴太郎が眼鏡をかけて好演してくれた。
▼料治朝鳴の版画雑誌「白と黒」の表紙はみんな志功の版画だ。題字もそうだ。昭和十二年のころ、ああ私にも青春があったナア。