四月

桜前線北上が十日ほど遅れて、当地をゆるやかに過ぎて行った。みんなで賞でるもよし、ひとりで覚めるもよし、思い思いだ。ふと満開の桜の木の木版画があった筈だと気がつき、さがしていたら昭和二十三年四月号の本誌に関野準一郎さんの木版画弘前城の桜」があった。そして「一城の主」の随筆が載っている。もし受賞したらわが妻に感謝の意を献げようとのつぶやきが添えられている。万朶と咲き誇る人生を終えて、関野さんは四月十三日に目を閉じた。生前「東海道五十三次」で芸術選奨文部大臣賞を受賞せられたからさぞかし満足だったろう。
▼お互い二十代の年頃から風交をかわし、しばしば手紙のやりとりを打ち重ね、やっと戦後、飛騨行脚の帰り道、盟友版画家山口源さんと拙宅に寄って下さった。このとき自らすすんで色紙に揮毫して貰った。松本に来たことは平凡社発行「木版画の楽しみ」の(飛騨遊記)でも私の名も入れ紹介しておられる。
▼若くして蔵書票に興趣を持ち、斎藤昌三さんの「蔵書票の話」を手にして夢中になった思い出が深いのである。私のエキスリブリスの一番目はたしか関野さんの作だった。木版画でなくエッチング。昭和十四年一月号本誌(蔵書票紹介)連載十二に実物として貼付した。また青森にいたころの制作だた。帆掛け舟、彼方に富士山、民郎蔵書と横書き。
武井武雄私刊豆本第七冊「本朝昔噺」限定版三百部のうち私のは百二。奥付を見ると摺捺者関野準一郎とある。恩地孝四郎著「日本の現代版画」のなかで(北国生れの此作者にも、北方らしい執念さが作品に脈打って居る。北方人的な克明さ、例えば、懇切を極める説明である。小樽生れ会津育ちの斎藤清にはないが、棟方には別の現われ方だがやはり執拗さがついて回ってる」とある。
▼青年時代から知った版画家の一人として、共々わが道を辿るために精進する幾歳月を持ったのだが私の川柳は塾さず、版画「海が見える」を額に入れ、彼を偲ぼう。
▼前号訂正
   だしぬけに鐘が鳴るのも
       たびの事   路郎