三月

▼南と西に窓がある。とても明るい二階。昼間は先ず暖房器はいらないですみ。陽を採って温かさに備えるのだが、いくらかでも足しになっているのだろう。
▼余程のことがあればだが滅多に昼日中ここでお茶は呑んだ覚えがない。妻も私も常に動いているせいである。夕飯が終わったあと、少しの談笑を家族と共に費やすが、私だけ早くこの部屋に落ち着く。
▼何やら落款のわからない横額の絵が飾ってある。父が手に入れたもの。捨てるに惜しいし、もったいない気持ちもある。もうひとつ麻生路郎師の横額で
  だしぬけに鐘が鳴るのは
          たびの事
 大分古ぼけて来て、いよいよ風格をあらわすとひいき目に見る。昭和十一年十月に松本で初めて川柳展覧会を開くことになり、急遽揮毫を依頼したもの。師は東上の途次、寄って下さったので面目をほどこした。そのとき別に
  俺に似よ俺に似るなと
          子を思ひ
の軸も並べた。
▼置き床に、蘭をえがき、幽谷精香の賛のある絵を掛けてある。大塊の号のある野田卯太郎。通信大臣商工大臣を歴任した政治家。父はどんな手蔓で求めたのだろう。新聞で子供ごころにも知っていてたしか頭がつるりと禿げた風貌だったと思う。
▼置き床のひき戸に貼ってあるのは丸山太郎の版画。吉井勇
 蕗の薹ほのか青める信濃路の
   春をこほしみ友と見んとす
 みすずかる信濃路にして君と見
 しつゆくさの花おもほゆるかも
 前の歌に徳利と盃、後の歌は花の画を添える。
▼妻の枕屏風は中国泰山の金剛経の朱拓満有の二字。昭和の初め料治朝鳴が譲ってくれたもののうち。十枚ほどあったが乞われて友に頒けてしまい久しい。
▼私の枕屏風は父の蒐集した絵や書の貼り交ぜ。巌谷一六詩賦の書。名は修だが、在官中毎月一六の日に休暇を賜ったのでこの号があると聞く。目ぼしいものには小林清親の滑稽ポンチ絵。張子の虎と加藤清正の対面の飄逸さ。清親は松本に来て作品を遺した。村松梢風「本朝画人伝」に詳しい。