十二月

▼交通事情にもよることだろうが運送馬車がよく通った時代とは違い、馬の顔はこのところ見ない。観光客のために一定距離を往復する馬車が喜ばれている土地のことを、ちょっと小耳にはさんだくらいである。
▼何に驚いたか、運送車をつけたままで走って来る馬の後から、雇主が追うように駆けてくるのを幼い日、よく見たことがある。「あぶないぞ」という叫び声が響いてくるのをかき分けて疾走の馬の勢いに、戸口からこわそうに首を出して、様子をうかがっている。
▼その馬の行方を見送るようにほっとする。でも道が曲がってどこまで走るのか、不安だった。或るときは不意に止まって余勢を自分で引きつけている苦痛な馬の面を見据えた。父はこういうとき騎兵出身だったから、大手を広げて止めにかかった。落ち着かせ手綱をしっかり握り、使役のあるじのお礼を受けて、納得の笑みを交したものである。
▼野放しにするのを厳禁されているから、野良犬らしいものの姿も滅多にお目にかからない。犬の散歩に主人の引っ張る絆との触れ合いがあって、フン処置袋持参のけなげさまで行きとどく。お詣りの境内で落ち葉焚きの煙が少し立っていると、飼い主と一緒になって小休止のつもりで寄り添って来る。顔馴染み風に朝の挨拶。
▼神社の拝殿で千社札を貼って、二拝二拍手一拝にかしこまる旅人をふっと見かけた。声かけることなく去って行った。どこかまた回るのだろう。足早だ。社寺によっては貼らせないところもあるようだが、何であんな高いところに貼ったのだろうといぶかるひともあるだろう。
▼同じ千社札が高いところと低いところに貼られた秘密を見破るサスペンスドラマをテレビで観た。遠野あたりが背景だった。長いのになると約五メートルに伸びる竿をあやつる。巴連、睦連など由緒深いグループがあって旅にさすらうようだ。私もついて行きたい。
▼荻野鳩谷は出雲松平家に仕えたが、「天愚公平」の名を石摺のように白字で刷って社寺を回った。奇行で知られ、千社札の始まりだと言われる。