九月

▼床屋はあまり行かない。頭髪がうすくなり、必要がなくなったせいである。それをいいことに無精しているといった方が正直か。
▼幼いとき行き付けの床屋があり頭を刈ったあと頬や顎を剃ってゆくうち、喉のところへ来ると決まったようにくすぐる。ご機嫌とりか、約束の如き予感を果してくれるのだが。
▼ひとつ歳をとっても相変わらずで、おかしがるのを通り越してうるさくなり、よその床屋に替えてしまった。くすぐりの床屋はノッペリした背の高いおっさん、今度はズングリして女の子ばかりの子沢山である。
▼長い間馴染んだが戦争中、この家族は満蒙開拓団で移住、さびしい別離となった。戦後、主人と娘さんを喪いやっと辿り着いたわが家幸いにもその家を借りていた人の好意で一緒に住むことになる。
▼行方不明とばかりあきらめていた娘の一人が無事で中国人の奥さんになり許しが出ての帰国、しばらく逗留し親子の睦まじい語らいが出来た。毎年里帰りがつづく。
▼未亡人は私より歳上でいたって元気、娘さん夫婦と仲よく暮らしている。会うごとにご主人から刈って貰ったことをすぐ思い出す。
▼そんな昔とはがらりと異り、女の化粧ばかりでなく、男の化粧もファッションの仲間入り、いま流行のうわさ。私の無精ではついていけぬ。男でも口紅があるとか、おちょぼぐちして差す紅は似合うが、むくつけきおのこの紅は濃きや薄きや。
最上川辺で生育する紅花は、京近江の商人が北前船で運び上方文化と結びつけたものだという。咲くにしたがって摘みとるから末摘花の異名がある。昭和六十七年開催の山形国体には、「べにばな国体」と銘打って早くも意気込む。
▼安永九年(一七八〇)出羽山形で「田舎ぶり紅畠」の川柳句集が出ている。秋江斎楓呉選、書林は京寺町通二条下ル橘屋治兵衛。のち三十有余年経て出た松本の「古今田舎樽」とは少し違い、郷土色のにぶい、信濃に因んだ二句あり。
   みそづけをしなのは
     国の母へやり
   ある時は巴馬上で
     馬にのり