五月

▼大相撲夏場所の話となった。私はせいぜい夜七時ニュースのスポーツ時間で披露される、一番か二番の取組みの健闘振りをやっと観るだけだが、相手は午後三時放映に始まって結びまで大いに娯しむと言う。
▼どうもこうなると処置なしで、ただ黙っているより仕方がない。与えられる休養の時間がとれぬから、好取組みに待っていたとばかり、画面にへばりついて観ることは出来ない。
▼非常に苦難に満ちた境地を世間では地獄というが、それほど私の場合大袈裟なものとも思わない。その癖、働き蜂などにたとえられたくもなく、一日を大事に充実感に溢れる気がちょっとでもすれば晩酌ですべてを忘れ忽ち陶酔し、やがてわが枕に休らいの夜をゆだねるまでである。
▼ふいっと出た地獄の語だが、天国もまた紙一重で、わが脳裡には出没する。といってもさして観念化したものでなく、何となくよそごとのように、すっかりどっちにも振り向かない認識で、さてどっちにしようか、まるっきり途方もない遠いところと落ち着かせ、自分はどっちへ行かせて貰えるものか、頭をかしげる
▼この世に生きて味わう地獄として、なかなか死なないのは他人にとって地獄だと言う人がある。早くさっぱりおさらばをするにしても、それも行く先は地獄か。その地獄の鬼共の苛責を強いる作業に堪えることが出来るかどうかは考えないで、落語の「お血脈」のように、かえって一転極楽に行けた果報に何となく心を砕く。
田辺貞之助「フランス小話集」に、ある貴婦人の夜会で、天国と地獄の話が進んで、ひとりの令嬢がささやく。「わたくし、地獄の方が好きだわ」そばにいた別の令嬢も相槌を打つ。隣の紳士が驚くと「だって、面白そうな男の方が、みんな地獄へ行くんですもの」に惹かれてしまう。
▼熊倉正弥「ペンの散歩」の、西洋の哲人の言葉「死後のことは案ずるな。天国へ行ければ文句はあるまい。地獄へ行ったところで君の友人はみなそこにいるから退屈することはない」。今の世に息付きながら、ちょっと安心した。