十二月

▼まず夜中に尿意を催すことは殆んどなかった。人に言うとそれは結構なことだ、わずらわしくなくぐっすり眠れて、私みたいに始終トイレに夜中起きをせねばならない身にとって羨ましいことだとけなるがられたが、家の者は違う。一度も行かないなんて却って身体にわるいから、平素水を飲むようにしたらと勧められた。
▼そんな忠告を聞いてちょいちょい水を飲んでみたりしたが、つい忘れる方が多かった。だが現象というものはおかしいもので、此頃は夜中に一度か二度トイレのご厄介になる始末。
▼それも直射型でなく、ちょろちょろと放物型と変わってしまった。年のせいか、往昔を偲ぶにいささか嘆かわしく、それもいつか気にならなくなった。
▼朝の散歩は城の廻りをぐるりっと通ってゆくと氏神様があり、そこで合掌、何を祈るでもなく頭を垂れ、朝の冷気が快い。そこからまた歩いてゆくと、お宮があってここでも合掌、それで落つ着く。
▼冬になったので余程暖かそうな天候でないと散歩は思いとどめ、片付かなかったと気にしていた家のなかを整理したりする。
▼でも一週間に一回は起き抜けに外出せねばならぬ。医院に足を運ぶべく、診察受付の番号を書くためである。少し寒いが我慢してついぞ怠らない。
▼私は若いとき腸チフスに罹り、熱病のため耳疾を負わされ、初めは中耳炎で幾年も通院、それから慢性中耳炎、嵩じて痛くも痒くもないが難病だとおどされる真珠腫(しんじゅしゅ)性中耳炎。なんだか秘蔵の玉手箱に入れても頃合いの病名である。

 聾親父、日なたにゐる。小僧来て「もし、お朝めしがよふござります」といへど、聞へず。また、「お朝飯がよふござります」と高くいへども聞へず。此度は耳へ口をあてて「お朝飯がよふござります」と大声でいへば「ナンノ、それをかくすことか」と叱った。
  (再成餅、安永二年)
 仰々しく言われたのに腹を立てた親父だが、私はそれほどでもなく、やや難聴であるけれど、かえって早耳の方で嫌がられる。