十一月

▼いい齢をして電話応対でもあるまいと思うことがときどきあるが朝起きて散歩して、朝飯をいただいたあと、相も変わらずに事務所の机にしがみついている。よそから見ると執着そのものようなていたらく。
▼もういい加減にしたらと、家の者に言われたことが一度もなく、頼られたかたちでそれが日常の立ち居振る舞いとなっているゆえ、結構サマに収まる座を得たかたちで眺められる。
▼電話のベルが鳴るといち早く受話器を執るので、用件を言わず途端に「誠に威勢がいいね」とおだてられたのか、からかわれたのかわからぬ声が飛んで来る。
▼すごく早く名刺を印刷して呉れると有り難いが、どうだろうかと念を押された。平素スピード名刺は割り高なものだが、そんなことはおくびにも出さず、夕方までには間に合わせようと引き受けた。原稿を書いて貰い、照らし合わせに読むと、室蘭工業大学教授・坂西八郎とある。そのときさてはとすぐ思った通り、松本深志高校創立一一〇周年記念式典に遥々やって来た人だった。私も四十九回卒業生だと明かすと、これは先輩恐れ入りますと頭を下げられた。少し薄毛になっていた。
▼翌朝とりに見えたが、「先輩、お長寿を祈ります」とまたペコンと頭を下げて別れた。あとで知ったのだが、ドイツ文学専攻、一茶の句を独訳して紹介したという。なつかしさのあまり、お住まいへ先日の名刺のことのお礼と共に一茶―川柳の十七音律のことのなつかしさを伝えたら、まもなくお返事があり、越郷黙朗さんが令閨伯父にあたり、親しくしていると言う。五六年は先のことだが、日本川柳の独訳を企画しているから期待してほしいと言い添えてあった。
▼これより少し前、句会から帰ったら札幌の塩見一釜さんが町内の旅館から電話があり、会いたいと言うので出掛けて行くと、少しその辺を回ろうか、そんなことで小さな居酒屋で談笑し秋の夜を楽しんだ。先日も函館の坂本幸四郎さんが大村沙華さんの身辺をただす電話があり、なんとなく北海道付いた縁を大事がった。