九月

▼どちらの土地でもそうだろうが松本も音楽が盛んである。音響施設を誇る松本市音楽文化ホールが開設され、毎日何かと催しがあって賑わうが、また一方で才能教育の鈴木鎮一さんの音楽活動は世界的名声を持つ。夏期講習会は多くの外国人が滞在にやって来る。
謡曲は肺活量を旺んにするから健康的にもいいということで、師匠を招いて温習をたのしむ機会が多い。私の友達のうち謡曲にいそしむ数が増えて来ている。姉は八十余歳、長くこの謡曲に取り憑かれ、大声を挙げて威勢がよく、東京から電話が掛かって、その元気さに驚くほどだ。ぼそぼそと話す人はそっちのけと言わんばかりである。
▼ところで目で見る美術の方では応募の展覧会、個人展など愛好者がいてつい足を向ける事が多い。偶フランス近代絵画展が開かれることになり、あまり外国ものを見る折がなかっただけに大いに注目した。
エルミタージュ美術館メトロポリタン美術館サンパウロ美術館の特別出品で、印象派後期印象派ドガ、モネ、ルノワールセザンヌゴーギャンゴッホなどエコール・ド・パリまで逸品が揃った。それも原画であるから一層魅力をさそう。
▼東京で観たルオー展の感動が深いルオー数点がまた私のこころを躍らせた。彩りの奥深さ、にじませる情感、見事な形成にひとしきり小世界に没入していった。
▼おなじ頃、作家の阿川弘之氏が松本に講演に来た。私より十ばかり若い人、松本は始めてのことだったが、北杜夫にはよく聞かされた街だったからいい機会であると冒頭話された。
▼演題は「日本人のユーモア」ということで、川柳もきっと出て来るのだろう、そんな気もあって傾聴した。歴代首相でユーモアを持っていた人は最近で吉田茂くらいで、中曽根首相にいたっては露さらうかがわれぬときびしい。万葉集のユーモアの歌をあげ、狂言、それから江戸時代に入り、狂歌のひとつを例に引き、そして川柳の発生にたどりついてホッとした。ユーモアの欠如の由縁を論破してゆくとき、私の胸を衝いた思い。