九月

▼何の気なしにスイッチを入れたら「元気な陽気な百歳人生」という番組に出会った。百歳にはまだ間があるわけだが、先輩達の動静を映像で見るいい機会と思ってしけじけ見やった。
▼カクシャクたるのもあれば、耳が遠くてインタビューに戸惑わせるのもあって、その会話は多様で親近感をさそってくれた。お昼のテレビの時間で顔馴染みと言われ悦に入っているアナの笑顔が楽しい。なかには全然見ないし、関心のない顔で、夜は水戸黄門を観ていると言われ、民間放送ひいきがあらわれたりして苦笑する。
水戸黄門はなかなか人気のあることがわかり、大勢のフアンで待ちこがれている時間、その時間帯に茶の間にきちんと目をそらす風景を想像した。
▼川柳の方にもひいきがあって
  印ろうと桜吹雪の出る時刻
       秋葉 昭平
 桜吹雪は遠山の金さんの腕まくり、これも二時間遅れの一件落着で溜飲を下げてくれる。
  切る前に出せばいいのに
    ご印ろう  背木也寸夫
 とはいっても、早く出し過ぎると名場面が展開しないことになるから、無理な注文。
早川孝太郎の「猪・鹿・狸」を読んでいたら狸の印籠の話が出て来た。狸から福分を授かった証としての印籠、諸国行脚の狸とはいぶかしいが、大方僧侶に化けた狸だろうとある。別に柳生十兵衛が武術修行の折に、かたみに置いて行ったという尾びれまでに及んでいる。郷土炉辺閑話として読んでおく。
前田伍健さんはお国柄、揮毫される賛に狸を画いた。
  月とろり幼ごころの
     よみがへり
 ふたつの狸が徳利をかついで陽気満面の景。
▼狸十疋ばかり抜け参りして、ある宿屋にて、「同行十人じゃ。一人前三匁ずつにて宿まらん」といふ。亭主肝をつぶし「いやいや、貴様たちは金玉ばかりでも八帖敷いるから百帖もなければならぬ」といへば、狸が小声で「わたしらは女ばかりじゃ」(噺栗毛上巻)
▼はずかしそうな素振りが躍如。