七月

松本市中央公民館は家から二、三分のところにある。四柱神社の隣で、一般に神道境内と言っている。ここで川柳山ぐにサークルの句会を開催、午後六時にみんな集まって、私の来るのを待っており早速席題を出す。六月二十八日、毎週金曜日で、それぞれ都合がよいと言うことで決着した曜日。
▼勤めの人、先生を退職なさった人、現に教職にある人、家庭を持つ主婦の体験が句のなかに踊り出る。ハッさせられることもある。会報「川柳山ぐに」の巻頭言は交代で、殆どが日常に触れた生活記録で目映い。
▼翌二十九日(土)は第29回全国鉄川柳人連盟浅間大会に招かれて午後一時に出掛ける。私は国鉄マンではないが、あたかも松本で開催される大会に選者として指名されたので、全国から参集していただいた百三十名の方々の敬意を表する意味で快諾した。
▼私の選は「牛」だった。係のお方の諒承を得て、松本と川柳のつながりを話させて貰った。遠い昔文化八年刊、柳多留五十六篇に信州松本天白両社額面奉納の記録があり、 月雪の国へ花より十七字を初めとする江戸と松本の作家交流のいきさつを明かした。
▼五十八篇の序文の十返舎一九が松本で当時発刊した田舎樽の序文を書いているし、 名所にもならで信濃の夏のゆき づくなしによけい見らるる梅の花のようなローカル味の句を紹介した。
▼安永九年に出羽山形で、紅畠という川柳句集が出たことにふれ、みそづけをしなのは国の母へやりのあることを紹介し、いま全国からお集まりになっておられる親睦に合わせ、たとえば紅畠の作者が信濃者を詠っている親近になぞらえ奇しくも結び合いの感触は遠く隔った世からあったことなどを話した。
▼翌三十日(日)は浅間温泉に近い山辺の湯どころ、おぼけ荘で松本市老人クラブ川柳まつもとの例会日。午前九時には集まる。八十四歳の先輩がいたって元気なので私もボヤボヤしていられない。会報「川柳まつもと」はこの七月で九十二号となる。あなた百までわしゃ九十九までを負かす勢い。