五月

▼よちよち歩きの、あちら向いてもこちら向いても知らない尽くしの揺籃期に、現在作っている川柳の濫觴を探りたくて、先ず手にしたのは宮武外骨の「川柳語彙」であった。表紙を開けた題字は川柳久良岐の書。あいうえお順に古川柳に関する語彙が並び、浅黄裏のところではそれらしい者の絵があり、アリンス国、いろは茶屋にも挿絵、なかなか豊富で興味をそそらせる。
▼附録の川柳研究楷梯で、初心者向きの解釈習得を学ばせ、川柳小学、川柳中学、川柳大学、難解百句とつづく。和本仕立てで割に江戸趣味を匂わせる。初版は大正十二年だが、入手したのは四版の昭和三年もの。定価弐円五拾銭。
▼興に乗って「川柳や狂句に見えた外来語」「川柳と百人一首」を求めた。その頃自称の廃姓外骨の名が見える。前書には小泉迂外の(小俳書に現れたる外来語)後書には穂積重遠所蔵の(小倉百人一首類書目録)と著者の(異種百人一首総目録)の附録がつく。
▼そろそろ外骨なる人の横顔がわかるようになって、古川柳散歩気味の「変態知識」にうつつをぬかす。こよなくも古川柳礼讃の短編ものだが、洒落っ気が横溢してなかなか読ませる。ピリッとした筆から、ずるずる落ちこませる風も見えて、いっそ魅了の語り口。大正十三年一月号から十二月号まで。
▼此頃急に外骨ブームが燃え上がり、反骨のジャーナリストとして喧伝される。明治十九年「尻茶無茶新聞」で発禁。明治廿二年の帝国憲法を茶化した「頓智協会雑誌」が不敬罪に問われ人獄。筆禍罰金発禁をつづけ、肝癪と色気を織り込んだ活動で鳴らす。
▼次ぎ次ぎと発行するが、創刊号即終刊号の奇抜を含め、常に誌名を変えて倦まず、反権力、反骨をほしいままにする。世に雑誌名を変えながら作家的転移を示し、おのれ相手を示唆するものがあるが外骨にいたってはそれが読者相手に挑むしたたかさがあった。
▼大正四年の「ザックバラン」や大正五年の「スコブル」の所蔵本を見ただけでも面目躍如たるものがある。のち明治文化研究にそそぎ、その機関紙「明治文化研究雑誌」昭和十二年は創刊号兼廃刊号