一月

▼自分で暇をつぶしてまでもと思うからかも知れないが、若いときから割と旅に出掛けようとする気持ちは少なかった。先方から是非というような、友交や義理で重い腰を上げるのがせいぜい。そんなミミっちい質だから、見知らぬ土地の郷土玩具をさがしては送って貰ってお茶をにごした。
▼吊るしものだが、麦藁の傘に赤い布が垂れ、紙で出来た衣裳の、ごく粗末な藁人形の踊り姿を模した大阪の住吉踊りを求めて、部屋に飾りひとりっきりで眺めた。住吉には土人形がいくつもあり、千疋猿といってひねりの素焼、大群像では五、六十匹が一団となり、一番上に扇を持ったのが斜に構えている。裸雛はユーモアがあり、両人いさぎよく素っ裸、笏がうやうやしい。睦み犬はちとケッタイな。
▼焼きは茶色っぽい黒ずんだ肥後の木の葉猿の埒外ものを、まだ書棚の奥にひそませてある。豪快で逞しいのが憧れにも似た懐旧をそそる。原始崇拝をからませて。
▼信仰といえばことしは善光寺御開帳で、四月七日から五月二十六日までの五十日、平素の年間六百万人を優に越すことだろう。
▼本誌表紙は丸山太郎さん画く布引の牛である。俚諺のあまりにも有名「牛にひかれて善光寺詣り」無信心のおばあさんの干してあった布が風に舞わされ、どこまでも追って行ったら善光寺さま。それ以来人が変ったという御利益。これにもつけ足しがあって、牛の垂らした涎を照らし出した御霊光の有り難さ。その涎が一字一字を綴って、
 牛とのみ思いはなちそこの道に
    なれを導くおのがこころを
▼布引牛の郷土玩具は御開帳だから売り出されるのだろう。宮沢憲衛の「信濃の郷土玩具」や武井武雄の「日本郷土玩具」に写真入りで紹介され、埼玉鴻の巣製作と指摘してあり、よそに依存せず、地元製作を呼びかけているが果して今は復元成ったか。
▼母袋未知庵「川柳善光寺物語」を繙くと、
 法の徳牛の涎も大和うた
         (柳多留六一)
 牛の布長く後生の念を引き
         (入船狂句会)
近いし雪が解けたらお詣りに。