十二月

▼お年寄りだけで十七文字を綴る集まりという触れ込み、兎に角指折りながらの手すさびと頭の体操の活用法の小見出しをつけて、肝入りが声を掛けたら多勢馳せ参じてくれ、世話役を兼ねて選者を仰せつかった私も、やっぱりお年寄り。
▼いつの間にか会報がこの十二月で八十五号の長生き、この分なら米寿までもうひと息だ、頑張ろうとせっせと時間を稼いでいる。川柳と俳句は先ず第一にここが違うと根本的な、ごく判かりいい大まかな説明してやっと会得したと思いきや、まだまだ私の導きにソッポを向くものも出ている始末。
▼題を出すにも身近なものが取りつき易いと見て「生き儲け」「ドッコイショ」「敬老会」「長寿」などとご機嫌を窺ったが、近頃ではもう食い足らず「捨てる」「真ん中」「逆恨み」なんかを処理できるようになった。
▼ゲートボールで娯んでいる癖に出題をすると、自省めいた心境の句が出たり、雑詠の中で生きの果てのきびしさを詠う向きがちらちらしてきた。でも弱気は禁物、みんなゲラゲラ笑い、研修会に名を替えた遊山にはカラオケ負けの自声が高ぶる。
▼長生きしすぎて家族のものに面倒をかけるなあ、そんな自嘲。楽にそっと別世界へ行きたいなあ、こんな溜息が句のなかで泳ぐ。もっともだ、お互いさまだと思いながら、さてと改まった言辞は避けている風。
▼NHKお達者文芸担当の暉峻康隆さんの選評は評判だが、短歌・川柳とまとめて今度一冊にまとまった。編著とあるが、各月の緒言、後書きが滋味に富む。
▼見開きに
  ジーパンで楽屋入りして
       江戸となり
と書名して下さった。さしずめ小三治を彷彿する。寄席の出番にオートバイで駆け回る大都会のはやぶさを思いやるのもいいかも知れぬ。先生捌き手をなさっている連句集に名残表の
  Gパンが見よう見まねで
        お茶の席   司
があった。「六歌仙のさきがけ」とあるくのいち連歌会から。信州高遠あたりでも句筵を開く。絵島ゆかりの地ではよくツイただろう。