十月

▽例会には定刻前から来て下さる熱心さには恐縮しながら、少し遅れたりしてすまながる。家を出ようとするときに限って、思わぬ仕事上のお客に迫られ、時間を気にしつつ、つい句会に遅れてしまう。わざと延ばして来たのではないことを知っていてくれるのが有り難い。気を利かせてくれ、もう席題が出ている。
▽よその句会のように、五十人、六十人という集まりではない。顔をつき合わせ、すぐそこに居並ぶ。数は知れたもの。だが少ないだけに親近感はある。遙か向こうの席に誰がいるのかと、目を細めてさがす心配は先ずいらない。
▽句を作りながら、思わず話題を持ち掛けるひとがある。句題をさまたげられた苦情は言わず、うまくこれを受けて話題につなぐほどの器量を誰しもが持つ。
▽しばらくすると無言になり、また句想に耽るしじま。そのあうんの空気が快く、また締まらせる。街の中の会場だから、たまたま賑やかな話し声の通るのが聞こえたりする。やかましいと思わないで、おのずと構想のなかに引き入れて句を案ずる。
▽席題は誰いうとなく出されてゆくが、子供が生まれたと聞いて早々「誕生」と決める。突然の雨で「俄雨」となり、こちらに出張がてら敬意を表してくれた友人のために「珍客」が掲げられる。
▽NHKの川柳天国放送で、父ちゃんと呼べばオナラで返事するという句が全国に放映されて物議をかもしたが、さこそ痛恨事、配慮してほしかったとする声もあったのだろうかと思う。
▽放屁の句は柳多留から今日に至るまで詠まれている。それが川柳の根性だときめつける人だってあるに違いない。人間味をのぞかせる真実な根底を誇示する意見もあろう。厳粛な、しかも鑑賞に堪え得る作品を目指すこともいい。
▽しなの川柳社では句会に「糞」を取り組んだ。誰ひとりとして卑屈のおももちはなく、気遅れすらうかがわせず真剣に相対した。披講する選者はいささかも膝をくずさないで朗吟した。胸を衝く句におののき、対象の照応のきびしさを互いに味わった。そして句会の帰り道、句は心だと語り合った。