六月

▽発売にあたって、早朝から並んでまで執着はしないが、記念切手はその日、自由な時間に行って、求められたら求めてくる。写楽のときもそうだった。大谷鬼次の奴江戸兵衛の対の、四代目岩井半四郎の乳人重の井の版画は、昭和の初め、学友から夜店で買ったといって貰った因縁がある。
▽学友はどうせ本物ではないだろうと、添え書きしてあったので覚えていて、それでもこの切手が出たから話の種にしたいので、事務所の額のなかに入れておいた。吉田暎二の「東洲斎写楽」を持ち出し、照らし合わせても見る。
▽果たして当たっていた。昭和初めに流布した高見沢版の複製とわかった。がっかりしたというほどでなく、かえって落ち着けた。松本には日本浮世絵博物館があるから、そこで鑑定して貰うことが出来るわけだが、それまでこだわらなくてよかった。
▽香取秀真作の香炉が父は殊の外愛用で自慢していた。当地にしばらく移り住むようになった香取さんを囲む座談会があったとき、真贋をたしかめたく私はこの香炉を持って出掛けた。
▽これを掌にしながらなつかしそうだった。父が入手したいきさつ通りで安田家から依頼されて作ったもの、私のまだ若いときのものですよとおっしゃって下すった。
▽父はある保険会社の代理店をやっていて、その募集に優績を挙げた功賞だった。そんなことがあってお近付きを得た私は、頒布会で銅印をこしらえて戴いた。
▽父逝きて三十年に近い。その愛用の香炉は語り継ぎを温めながら私たちの座右に安んじている。
▽いつか書いたが、古道具屋から買って来たという副島種臣の(白雲)の横額は、父が好んで眺めやった書である。この頃出た「中川紀元 拾遺と追想」(山寺秘、中村吉三郎編)のなかで、中川紀元画伯は「天真といえば副島種臣の書というものもそれで剛毅の気魂がブッキラ棒に見えて何処か人の心を惹きつけるのはこのためだと思う」とある。紀元さんはちょっとしたお世話をした私に、御礼だといって拙宅を訪れ私の像を書いて下すったが、この「白雲」をそのときお見せしたかった。