十二月

▽信州は夏涼しいかわりに冬寒いから、凌ぎよい頃転勤した人で十二月に入ると身にこたえるが、それも慣れてしまえばさこそでもないらしい。澄んだ大地、綺麗な流れ、キラリっと光る星、迫って来る思いはおのずと湧く。
▽私も伜も眼鏡をかけ、男の孫もつい最近眼鏡を少し鼻からずり下げる恰好で登校している。ばあさんは孫に始終屋上へ登って、じっと星を見つめる習慣をつけるようにとすすめたが、一向に実行せず本ばかり読んでいたせいか、近眼鏡のお世話になったとこぼす。
▽眼科医で眼鏡をかけている人を見かける。加藤静一前信州大学長もそうだ。近眼は老眼になるのが遅くそれだけ都合がよいから苦にすることはないと何かで読んだ覚えがある。
▽年寄りになると遅かれ早かれ白内障にだんだんなってゆく。私もそれにならって気休めのように点眼する。少し口をあけて、ポチリと落とす。冷たい感覚はそこだけに集まって気持ちがよい。
▽江戸小咄に、眼薬の効能書のめじりへさすべしとあり、めを女尻と間違えてそのような変体型でわが眼に入れる迂闊者が出てくる。江戸小咄はこの体のものと決まったわけでない。キリッとしまった仕組み、機微の自在が心を洗う。
▽私が江戸小咄を知ったのは古本で買った宮川曼魚の「小咄選集」だったが、宮尾しげをさんの「小ばなし研究」に負うところも多い。(一)は昭和九年であった。新作小咄も掲載されたが、食満南北、西島○丸さんの名がよく出た。
▽戦後、宮尾さんに乞うて信濃に関する江戸小咄を拾い出して貰い長く本誌に紹介した。母袋未知庵さんもまた手伝ってくれたが、既にお二人とも帰幽のひとである。
▽歳晩、服喪のご挨拶状をいただくが、江戸町名俚俗研究の磯部鎮雄さんは八月二十八日に逝くなられ、郷土では新聞柳壇に熱心だった滝沢五仙さんが八十四才で十一月二十日に鬼籍に入られた。
▽九十九才、お母さんを喪われた小谷方明さんのご挨拶が届く。久しく逢わない。小谷さんと丸山太郎さんが父、私が弟を逝くした偲び草に三人で「見かへりの塔」を出したのは昭和十七年だった。