十月

▽どの商店でも同じというわけにはいかないが、一般に水曜日を公休としている。町内で敬老の日に年寄りだけの慰安の集りは、いつの間にか水曜日に近い日を選ぶことにし、ことしもこれにならった。
▽遠出はせずに近いところというわけで、向こうからバスが迎えに来てくれ、美ヶ原温泉に出掛けることにした。土、日曜日を避けたその日、大浴場には私たちのほかに、ここの従業員の人たちだけだった。名入れの法被でそれとわかった。
▽一風呂浴びて出てくると、お昼を用意している女中さんが廊下で「いいお湯でしたか」と声を掛けてくれた。ここにいれば当然な挨拶で、それほどのもてなしの言葉でもない筈なのに、何か知らその受けた感じがよくて、ひとことの与える響きというものの微妙さに触れた思いだった。
▽もともとここの湯は熱くなく、ぬるいことで知られ、湯につかりながら、私みたいにぬる好きには恰好だなあ、少し時間をかけて入ってやろう、だが待てよ、のぼせてはお仕舞いだと。湯から出て来てまもなく、ぽかぽかとからだが温まってくる。それが効き目でみんな上気した顔付きだ。
▽きまったような開会の辞があって、お互い隣同士で語り合い、また箸を動かす。ふと目をやると窓に北アルプスが秋空をひきたたす。
▽浅酌低唱の通り、若い者たちに負けてなるものかと気張る風はなく、小学校時代覚えたという新体詩とやらを朗吟して聴かせたり、女の人たちは手拍子よく木曽節で踊って見せた。一番の長齢は九十一歳の女の方だが、都合で来られないがいたってご元気、来年を期しておられたことだろう。
▽またもうひとつ会があった。毎年九月は中学校同級会で、ことしは花岡堅而君が日本医師会長に、城下知夫君が長野県医師会長に就任されたこともあって、祝賀を兼ねた顔合わせになった。いつもこうなることの心構えを持っていたご両人だけに、ことにあらたまった雰囲気でなくさっぱりしたものだ。
▽二日経てそのなかの一人の訃報がもたらされた。耳を疑うほどだった。電話は間違いではない。死の深さを思い切り知らされた。