八月

▽孫たちがもう少し前まではよくテレビの(まんが日本昔ばなし)を観た。この頃、伜が視聴率を制限したので、ついついこれを割愛している。予告に「雷様の病気」とあったが、いい大人がひとりで娯しむわけにゆかず、はなしの結末はどうなったか判明しない。
▽下野の国、柏尾に智元和尚というお医者さまが、夕立のさ中に鳴った雷の音を聞いて、雷の体の具合が悪いことに気づいているとその夜、雷が和尚に病気を治してほしいといって来る。治療代のかわりに、大雨が降ると洪水を起こす柏尾川の流れを変えるよう申しつけるとだけ解説があった。
▽「河童の妙薬」のように、恩返しに切傷妙薬を伝授する民話の筋に似たもののようだが、果たしてどうだったか。偶々僚誌「川柳下野」七月号に前田雀郎の「かみなり奇談」が載っていて、雷公の跳梁は下野の名物とあり、雷に関する珍談綺談の豊富さをほのめかしているのに出会った。
▽そのひとつ、雷におシリをナメられた話。昭和十二年六月、上郡賀郡落合村の小代の一農家での出来ごとで、落雷して家の台所のトタン張りの腰壁に伝わり、そこから縁の下にもぐって座敷へ突き抜けた。座敷には婆さんと孫たちが小さくひそんでいたが、雷公はこの婆さんと孫たちのおシリをナメると、再び縁の下へもぐり電灯の配線を伝わって土間から天井へ飛び出した。被害の状況はというと孫たちのサルマタは黒焦げされたが、婆さんは薄赤くなっただけで何のケガもなかったとのこと、これが娘さんだったら?……。
▽娘さんがいたとしたらという憶測から考えると、雷様の色目をつのらせることになる。安永二年刊小咄本「聞上手後篇」の(雷)のように「オイ、あそこで今臍をつかみそこなった、エ、きたない」に通じるし、寛政九年刊「臍ヶ茶第五」の(花の隣)のように「お家さん、もそっと上ぢゃ」にからまって来るのである。
宇野信夫の「昔も今も【角書】笑いのタネ本」のうち、知ったか振りのおばあさん言行録のひとつ、「雷は電気と電気が触れあっておこるもンだ」「嘘をお言い、おばあさんはランプ時代からゴロゴロ様はきいてるよ」