六月

▽水泳ぎといっても、その川は流れが早いので、とても泳げるものではなかった。小学校の頃、町の中を流れる田川に遊びに行った。友達と一しょに堤を少し降りたところに砂場があり、少しくぼんでばかり飛び込んだら、ズルズルと足をすべらせて底深く溺れそうになってもがいた。
▽声が出ない。水を呑んだ。アップアップしている、どうかしたはずみに身体が浮いたところを、上級生に手を取られ助けて貰った。耳にも水が入った。勇んで出掛けたときの元気は失せていた。
▽でもみんなにいたわれたられ、今夜は川の中の浅瀬で遊び戯れ、泥でよごれた身体を洗うようにした。川からあがって追っ駆けたり、走りごっこをしたりした。
▽帰りには薯を掘って、少し焚火をして焼いた。そして頬をモグモグー、熱いのを我慢して食べる。そのうまさ。みんな嬉しそうな顔を見せ合う。
▽どこの家の畑の薯だか知らないし、許しを得て掘ったのかも知らずに、仲間と一しょに掘った。私には大正時代の子供の思い出として、こんな記憶がある。
▽「子供たちの大正時代」という本が出た。副題に、(田舎町の生活誌)とある古島敏雄の著。同じ長野県飯田市が著者の在所である。実に刻明で精細な記述、さすが経済史、農業史の学者の薀蓄は秀でている。
▽子供の遊びの水浴びも出ているが、環境が違い、またひと味を加えているし、いろいろの遊びにも私の知らないものも出てくる。縄飛びの項では微に入り細に入り、昔をまた戻すほどの描写を尽くす。
▽著者はこの本を上梓するに当たり、いくつかの理由をあげているが、そのひとつは七〇歳を迎えようとする老年期の一人の微かな願望として歴史研究者による「私の大正史」を描きたかったとある。
▽私は旧臘「住めばわが町」副題まつもと歳時記を出した。とても比べるにはおこがましいほど拙劣なものだが、偶然一致することがある。それは、何か書いておきたい気分にそそられ、自分もこんな覚えがあるとみなさんに語っていただけたらということだった。