二月

▽郵便局はほんの五分くらいのところにあって、出すときは夕方にきめているから、少しためておくことになる。ほんとうは二軒さきに赤いポストがあり、いつ集めに来ることまで、胴のところにしるしてある。時間からすればここへ入れても、そんなに苦にすることもないのに、本局の方へ入れにゆくのは、そこだけ早く何だか頼りになると思うからで、そんなことにこだわっているなんて、この齢にしてわれながら恥ずかしい。
▽本局へ投函しに自家用車を駆るが、いろいろギア―がついている高級車というわけにはいかない。ガタピシそこらがいたんだ、くたびれ放題の自転車にひょいっと乗って出掛ける。
▽交通事情がきびしいのはどこも同じ。家内は乗らないで歩いてゆく方が、身体を動かすことになるのだから、健康によいというが、気軽でいいような気持ちになるのがわれにしておかしく、おかしいと思いながらもつい自転車だ。
▽此の処、妙にペダルを踏むのが億劫になり、どこもかしこも平坦ばっかりの道と思ったのだが、やや坂になっているせいかとわかった。ペダルを踏むのに骨が折れるような気分だから、ついつい年齢のことにふれて、実はさびしくてたまらない。
▽向こうの方の突き当たりの町並みが全然見えないという急坂ではなく、ここもいくらかの登りであるなあと思うくらいの坂だが、それがたまに身にこたえる。
▽いつだったか、泉鏡花の「婦系図」に出てくる湯島天神、右側の男坂、左側の女坂という名が頭にこびりついてしかたがなかった。「女坂」は円地文子の小説で、定価二五〇円という昭和三十三年刊のを持っているが、評判の本で野間文芸賞受賞作。ネチネチと陰湿にこもる筆致に魅せられたものだった。
▽映画にもなった森鴎外の「雁」に出てくる無縁坂は、本に出てくるだけで覚えた名で、行ったこともないけれど、お玉をめぐる金貸しと青年とのもつれが、その無縁坂を背景として描かれたことで印象に残っている。
▽私にとって往来の坂はゆるい。だがここでも人生の味は噛める。