一月

▽雪が降っても、翌日まで積もったままのことは少なく、その日のうちに消えてしまう。まず一mcぐらいが精々で、膝まで降るということは殆どない。そのまま解けないで、明くる日、また降り出すナンテことはまずない。
▽その代り、松本地方は可成寒く初霜だとか初氷が張ったとかは一番早い。県下では夏涼しい軽井沢が寒さの上でトップ、その次は松本、諏訪ときまっている。
松本市から出た「市民ハンドブック」を読むと、全国的にみて雨の少ないところで、五四年中の統計によれば、飯田の一四一日が一番多く、松本は最低の一〇六日である。
▽そんなことで、いい案排にどの正月句会も快晴だった。吸い込まれるような蒼い空が澄んで、清冽という気分にひたれる。公民館関係のグループはいつもの厚生文化会館の会場をs会館に特別移して開催した。
▽新春福引川柳空くじなしというのを仕組み、平素宝くじで当たったことのない憂さを晴らそうという魂胆とは、みみっちいかも知れない。出題者が解き明かすごとに附随して家族構成をユーモラスに披露して貰った。なごやかさを添えてゆく。
▽懇親会となったらカラオケを利用しての競演となり、フィナーレはみんなで肩を組み、「星影のワルツ」で、両肩にやわらかい女弟子の腕がかばってくれた。
▽その次ぎはしなの川柳社の番。天候は晴。同人寺沢正光君の市田屋さんの暖房がよく利いて、佳吟秀句がよく生まれ、合点賞は所典夫君。ついその前の日曜日の信州うそクラブでも同君が獲得で、カップづく幸先のよい戌年だと喜んでいた。こちらは宴にうつっても、歌唱はひとつもなく、専ら次代交替の声があちこち、継ぐべき気運が盛り上がっていた。
▽下旬、老人たちのグループ。朝九時半出発、二時間半で軽井沢に着く。昨年と同じK荘である。年輩は七十そこそこから八十有余才披露が終った後、部屋ごとに所帯染みた話で持ちきり、お寺さまへのやりくりまで出る。宴に入るや一人一芸の渋いのどを聞かせ、夏と違った軽井沢の夜は静かだ。