十二月

▽どこか可笑しくなっているのではないかと、頭をかしげることがある。事件がたとえば新聞に出たとする。昔は単なる子供だましのような、大岡裁きならすぐケリがつきそうなのがザラだった。此頃は刺戟的で、頭脳的で、なりふりなんかかまわぬもの、男と女の絡まる情緒図係を飛び越えて、すごく計算づくである。それがまた見事に演出され、目立つ姿態で誌面を賑わすのだから大したもの。
▽まことに物珍しいということにしてこれに接する外はない。とても真似ることの出来ない遠い世界なのだ。惰眠の輩を矢庭にたたきつけるのだ。こうした洗脳でいいのだろう。
▽なにか救いがあり、ちょっとでも笑いがかげり、間が抜けたところもあってほしいと思っても、ビシビシことを運ばせて、ゆるがない。自分ひとりを守って、些かもはばからぬ。それが横行し、それで世相を象徴してゆくアピール。
▽ハッとあたりを見回すと快哉を叫んで同調してゆく膚寒さが、どこから吹き込んでいるのではないかと錯覚してしまう。いらだちながら、それなのにいらだつのも叱られているみたいに、勝つものへの乾杯に向いている恰好。
▽そんなスタイルが物珍しく見えて、瓢軽ないでたちで出てくるものがないかと首を長くする。「目黒のさんま」のなかに出てくる人物のように、物珍しいさんまが、目黒だけのものとするおかしさで伏線とし、他愛なさを味わせ落語がある。
▽毎年十二月に長野市篠ノ井川柳会では一年の没句供養の珍しい句会をやる。「珍しい」という題で高峰柳児さんの披講に入った。冒頭に挙げられたのが私の句。
 珍しい顔触れあだ名呼び覚まし
 また三才になって、まさかと思ったのに
 珍しい無口の本音聞き澄まし
が天位で驚いた。選者は言っていたが、最初と最後が同一作家とはこれは(珍しい)。来会者を笑いの渦に巻き込んだ。
▽自分でもこれはたしかに稀有なことで、記憶にない珍しく嬉しい出来ごとだった。そして内容はさしさわりなく、まことに穏当のところ、われながら可笑しい。