六月

▽ひょいっと思いついた頃になって寄るとき「御無沙汰しました」そういって、住んでいる土地の手焼きの煎餅をいただく。以前こちらにいて子沢山、野菜などを油で揚げ、これを近所の官庁のお昼の仕出しに持って行くおばさんだった。ご主人は定職がなく、でも器用で重宝がられ、大工も出来れば屋根繕いもうまく、あちこち頼まれに行った。私の家で強制疎開のあと、復興の小さな納屋をこしらえていただいた。
▽一旗挙げようと、づで【ママ】を求めて葛飾に行くことになり別れてしまったが、何かと懇意にして貰ったことが忘れられないと見え、たまたまこちへ見える折には必ず顔を出し、例のかたい煎餅をたくさん戴く。塩煎餅。片方に砂糖をまぶしたのもあり、それは白と青の色のついたの、カリカリと歯にこたえのあるかたさが香ばしい。
▽上京してからご主人を喪い、病弱だった男の子も他界し悲嘆にくれたがめげず、残った子供たちで力を合わせ事業を始める。その店の屋号は逝くなった子供さんの名前に因んだという。そんな心意気がある連中だからトントン拍子に事業が揚がって落ち着く。
▽そんな話を来るたびに耳にするが、聞き上手になるのも骨は折れず、ただただうなずくのであった。下町風情の居ごこちはよさそうで、また身づくろいもキチンと納まり、かじりながら、丁度土曜日と日曜日を利用して、伜と孫のまさかつが今頃は亀有近くの親類の家に立ち寄っていることだろうと思いやり、この煎餅の出身はそのあたりだなと気付く。孫が寄席に行きたいと予てのおねだりだったから、店の用事を兼ねて上京。
▽上野鈴本で小朝、小三治、円窓馬生の落語、伸二の漫談、染太郎染之助の曲芸のかずかず。小学生はあまりいなかったらしく、出演者の視線が兎角向けられ、子供向きにも触れたという。
▽孫はこんな話を受け売りした。少年たちが自動車教習所で遊んでいると「ここはあぶないよ、みんな無免許運転だから」もうひとつゴルフとグリーン車の小ばなしを覚えていた。この次はじいちゃんと一緒に行きたいなとせがむ。