三月

三月
▽冗談文字といっても、せいぜい二、三行、それも字詰が五字くらい。時局を活写し、風俗を揶揄する。辛辣とシャレがふっとただよう。川柳作家でこれに志向をこめる手合いがあり、檄を飛ばし自選作品を寄稿して貰い、特集したことを思い出す。
▽そのひとり佐藤一松さん、交通にまつわる珍談、異聞にも通じ瀟洒な著述をなる。それからというもの好感を抱いていた。昨年東京の真夏、汗を拭き拭き川柳研究創立五十周年記念大会に馳せ参じた折、ひょっこり久闊を叙する声を掛けられ、こちらも同じく久し振りだったので、平素の疎遠のお詫びを申し上げた。
▽うちの同人で所典夫君もやはりコント作家。川柳作句に精進する傍ら、その川柳精神を生かして、すっと浮かぶジョークをハガキにしたため、新聞雑誌に投稿すべく郵便局に日参を怠らない。テレメンテンがその句。
▽或る日、郵便局でばったり会ったら一松さんの訃報を聞かされた。夏、逢った話をし、お互い哀悼の情を深くし合う。
▽典夫君は「信州うそくらぶ」の常連、会長歴任の古参級。お正月には同好者との親善の集いが毎年きまって松本で開かれる。その設営を受け持つ。しなの川柳社正月句会と重ならないように、打ち合わせて日取りを選ぶ。会場は市田屋さん。おなじ場所。そこは同人寺沢正光君の割烹が評判を呼ぶ。
▽典夫君の風貌はややむくつけきおのこの気味で、ベレー帽を冠る。薄くなったおむつをわざとらしく隠そうというコンタンではない。そこんところがまことににく。
▽三番目の兄、所三男博士が三月十二日に学士院賞を受与された。長く林政史に打ち込んで来た成果を讃えての報である。私は毎年、徳川林政史研究所の研究紀要をいただく。博士を始め篤学の士の研究論考で、その内容は浩瀚着実、視野も広い。
▽四番目の兄、四出男は穂高町の禄山美術館長。地元の同人矢幡水鏡君の肝入りで安曇野吟行会をやったとき共々お世話になった。
▽このご慶事にはらから集まれば水入らず、典夫君はやおら想を構え、ひとひねりして見せるか。