二月

▽新聞でたまたま美術作品の紹介記事があるが、つい最近平塚運一さんの版画「青空」を見た。大空に向かって、いくつかの枝葉の変化に富んだおもむき。中央に大きく白い空間を設けたあたり、深くそしてひろがりを示している。単純なそこに風景を活写した強さを感じさせる。
▽こちらで頼んで本誌の口絵用としてよく作品の掲載を許していただいたことがある。たしか短歌を添えられていたのもあった。いまはアメリカ各地の風景、ときには日本を回想する画題、目下滞米二十年になる。夏になると、木崎湖あたりの「湖近く」を私は茶の間に架けて鑑賞する。家族のものにそれとなく作者のことを話す。
▽山口源さんとご一緒に関野純一郎さんが飛騨路からの帰りみち、拙宅に寄って下さったことがある。源さんは戦後だが、よくいつくかの版画を貸していたゞき、本誌に寄せて貰った。ルガノ国際版画展でグランプリ受賞されたことはついぞ自ら明かさなかった。
青森市にまだおられた頃の関野さんに、特にお願いしてエッチングのエキスリブリスを創作していただき、丹念に書物に貼った思い出も遥かに遠い。戦争が激しくなって、小さな雑誌が統制の憂き目に逢着、やむなく廃刊を強いられたが、本誌もやっぱり昭和十五年十月号で一時休刊した。そのときの表紙版画は関野さんの「子守り」であった。
▽川西英さんの神戸風景に魅せられ、それもごく小さいものを求めた。これを聞いて大山竹二さんがいくつか送って下さった。「週刊朝日」に出た川西さんの「オーケストラ」を直接頒けてもらった。
▽武藤完一さんとは遠く離れていたが、快く版木を送ってくれたので、本誌の口絵を賑わせた。地元に近い「臼杵石仏」は勿論画題となっていて、そのときから馴染んで来た。
▽本号に平川大史さんがご執筆して下さったように、大日如来像の胴体から離れた頭部は地上に置かれたまま。現状こそ美しいという地元の声、風化が進めば元も子もないという首つなぎ派の声がかまびすしいと聞く。どちらに決まるにしても安泰を祈るや切。