十二月

▼きちんとせねばならない長い期間の負い目があって、それが衝動的な買いものではないだけにズシリと重い。自分ひとりが苦しんでいるわけではない。みんなそれがわかり、詰めた思惑をムキ出しにせず、やりくった手だてを講じてはいる。
▼月末になると、何か押しつぶされるようなけはいに、自分だけを無理にいたぶって、シヨゲた恰好でいるものの、気色張った変な強がりを見せたがる。そこが嫌味だなと思う。
▼何とか収まるように心を配り、サット小綺麗なさばきを見せたいわけだが、いらいらしたムキになることがある。そこが弱さだろう。
▼そんなとき、やっと自分の家を建てることが出来た人を思い出すのだ。あれほど楽しみにしていた自分の家、大の字になって広々とした座敷に、ノビノビと天下泰平を気取りたかった筈なのに、病魔はこれを許さず、幽界に引きずり込まれてしまった。
▼残念だったことだろう。あれまでにするにはいろいろ苦労をしつくしたのに、何故いのちを奪ってしまったのだと天に向かって怨みごとを言いたかった。その子たちもみんな大きくなって、働きに出掛けている日頃だが、そうした境遇の人たちがどれほど世の中にいるのだろうと思うと、胸が痛い。
▼この人は小宮山雅登君である。逝くなってもう四年になる。ことし県内で川柳人がいくたりかこの世を去った。私と同年の清水春蛙君は十一月三日に、一つ下の金井有為郎君は十一月二十七日に他界した。十二月になって七日に土屋純二郎君が逝った。
▼さびしい思いをしている。昭和四十三年に逝くなった川上三太郎さんのお葬儀に、私は春蛙君と一しょに並んで焼香した。あのときはお元気だった。有為郎君は中島紫痴郎さんの「湯の村」の編集を受けもちいい評判だった。雑詠欄に島根県の人が多く、広江天痴人、山根梟人君の名があり、雅登君も共に名声を挙げていた。澄田羅門君もたしか異色ある句を寄せた。
▼純二郎君は私の選する雑詠のなかの茂乃家京子に関心を持って一家言を寄せた。松本では田内創造、二木千兵さんが鬼籍に入った。