八月

△朝起きて、さてきまった体操もなく、殊更伸びもせず、蒲団を仕舞いこんでから、のこのこ階段を下る。牛乳ビンが六本、それを戸口に置いてから朝掃除が始まる。
△バカ早い時間ではないが、ひとそれぞれの暮らしがあると見え、風呂敷やバッグを小脇に抱え、つかつかと歩いて行く姿がある。働いているに違いない。バスの乗り場が近いから、乗り降りの人たちで賑わう。何かみなご用を持つ。
△ことしは冷夏、むし暑さを避けようとすることもなく、凌ぎ易い地元でおちついている人が多い。ムンムンする湿気の強さにいたたまれないで、信州なんかに逃げ出したくなる季節なのに、いたって殊勝げにわが家に起居をしずめているらしい。
△外を掃いていたら近所のひとの散歩に出会う。「おはようございます」気分がいい。向こうから旅人ふたり、ここには変わった行事があるかねと、聞きにくい訛で話しかける。夜になると、子供達がぼんぼんという行列で盆唄をうたって通りますよ、これは女の子。そして男の子は青山様だワッショイコラショイとはやしたてながら青山様をかつぐのも通るよ。
△それを聞いて、今夜もう一晩泊ろうと相棒に誘いかけている。ありがとう、そういって去った。
△今度は若い娘さんや子供連れの一団が来かかる。何となくみんなで「おはようございます」こちらも応えるように「おはようございます」と行き過ぎる。
△山に行くとすれちがう際、元気よく山仲間のつもりで、初めて会うのに「こんにちわ」と声を掛けてゆくその人なつっこさである。何の川柳大会だったか、増上寺で行われたとき、席題は「今日わ」。富士野鞍馬さんは披講するごとにご用聞きの掛声で、或いは金借りる腹がまえの声で、或いはもとに戻せるものならそんな気の撫ぜ声で朗吟した。
△知らないでも、山ぐにの町の私たちにそう呼び掛けて行った旅人の後姿が、その日、私の胸に残ってくれた。
△さようならも今後の信頼と交情をこめる挨拶の意味で聞けるし、こんにちわは太く逞しい出発への橋渡しになるように思う。