七月

△懇親会を中座して日本教育会館を出た道すがら、児玉はるさんが自宅に帰る途中だからといって、飯田橋まで送って下さった。私より四つ年上だけれど、駅の階段は手摺を頼りにせず、スイスイと足が運ぶ、お丈夫である。別れる時さすが汗ばんだ額に感謝した。
△ややもすると出嫌いの私を一年前から誘って、川柳研究創立五十周年記念の会に出させていたゞいた渡辺蓮夫さんのお好意が有難くみんなの人柄もあって、出席者は北海道から九州に及んで盛会だった。亡きひとを追うな、現在を固めよというスピーチがあった。それにもうなずき、亡き川上三太郎さんのとぼけた、頼り甲斐のある風貌を胸のなかに寄せつけた。
△司会をつとめた西来みわさんは男勝りの歯切れのいい流暢さで終始した。テレホン人生相談を受け持つ殊勝な日常にいそしむ人だが、上田市から来ていた横川晴子さんと共に川柳研究の幹事として同郷信州出身で馴染みが深い。
△午後七時新宿発に間に合い腰を落着けて、みわさんから手渡された「木の花」第二号を繙く。山室静氏編集責任の会報。軍務関係の激職にあった父と母の活躍振りの追求レポート、筆力に溢れ読ませて貰った。いくつかのエッセイがあって読んでゆくうちに、坪井みゑ子さんという方の、嫁ぎ先から病床にある実母を見舞ういきさつを綴ったものに行き当たった。
△臨終の「そのとき」がこわくて長野在の実家から逃げるように奈良市へ夜行で帰るが、夕方になって果たして死去の電報、、取るものも取り敢えず再び帰郷。亡き母の枕辺にひとり籠って、香を焚くことを休めない。ふと疲れて身を横たえ、何となくあたりが明るくなったと思ったら、何かがリズミカルに踊り廻っている感じで、踊りまくっているのは母なのだ。
△もう十数年も前に、母と兄夫婦たちが「あの世は存在あるか、霊魂は本当にあるのか」という話になり、年の順だからお母さんが一番先に見せてやるよと冗談をいったことがある。この椿事はまさしく顕現ではないかという行間のくだりにハット胸をつかれた。
松本駅で降りたらうるむような星、私は亡き母を求めていた。