十二月

駿河路に入っていた。車窓に流れて入る風景は、信濃路とどこが違うのだろうか。この道をテクテク歩いて来た大勢の旅びとの後姿がわが眼底をかすめる。
三島駅に着いて行き先がわかっているが、道順を聞くにしかずと、売店のおばさんに訊いた。何も買わない私に、とても親切なおももちで、これもひとりの旅びとと見てとったか、からだをすり寄せるほど親しげな導きようだった。
△目印の歩道橋に辿りつくと、学生の一群としばしばすれちがうので、学校は近いなと思った。はたせるかな、校門が待ちかまえているのである。刺を通じるにはまだ早いので、亭々と立つ公孫樹の並んだ道を歩いてゆく。
△いつの間にかわが眼前を富士の山が迫って来てくれた。既に雪をいただく化粧までして。ふと姨捨山の名月、富士の山の名月を想い起こし、素晴らしい眺めのなかで、おのずとわれを昼の夢ごこちに誘うのだった。
△時間きっちり部長室に竹馬の友内山一也君と廿数年振りで逢う。感慨しきりに話を幼き日に戻す。小康を幸に入院中をこっそり脱け出した病人とも思えぬ顔つきだ。
△食品にくわしい友だけに、ガラス棚にいくつかの古い食器が飾られ、別のケースに献立文献が無雑作につめこめられていた。私にこの地を案内している暇がない主賓だから、代りに手伝って貰う人を紹介していただいた。
△その人はやはり信州人、教職にたずさわる。私は竜沢寺を所望した。中川宗渕師の前の山本玄峰師が飯田蛇笏の高弟と聞いており、また現師も俳句に堪能とのこと、相憎お籠り中とあって会えなかったが、寺庭の座禅堂のすぐ上に、昼の月が厳然と据わっていて、すごく所を得た風趣に触れ、凡人の心を洗うによく適した。
源頼朝、旗上げのゆかりある三島神社に詣でる。時間が来た。内山君の主宰俳誌「ふもと」の三十周年記念祝賀を兼ねて一年早い古稀祝の盛儀に出席すべく急ぐ。
△学校関係のひとが多く、女の教え子たちも挨拶に華やぐ。幼な友の私まで、スピーチの栄に浴す。また会うことのために、お互いの姿をたしかめて別れる。