九月

△飼い主の不注意で虎が檻から逃げ出しているのに驚き、大勢で虎さがしが始まった。自由になったせいか、なかなか見つからないので今度は虎狩りに変った。民家の人たちはどんなにこわかっただろう。わざと逃げたわけでなかったのに、虎もいい迷惑だった。
△山家の顔馴染みのおっさんが茸をたくさん背負って来た。そのときマムシも捕ってあるからいらんかねといって土間に置いた。どうしたはずみか、袋のなかからニョロニョロと抜け出した。私は突っ拍子もない声を立てて、おっさんを呼んだ。あわてないで鎌首を手際よく摑み元の袋に入れた。もし家のなかの隙間にでも逃げ込んだらどうなったろうと胸を撫ぜた。
△よそで飼い馴らして生後幾月にもならない犬を貰った。飼い馴らそうとみんなで可愛いがった。でも元の飼い主を忘れられないのか機嫌がわるかった。近所の子供を追っ駆けたり、揚句の果ては噛みつくという。
△うちの者にも威嚇の唸り声を立てる始末、巣箱のなかにやっと押し込み、入口を縄で幾重にも縛り上げてから、ほど遠い大河のほとりに「ご奇特のひとは飼って見て下さい」と荷札をつけて置いて来た。すると二週間ほど経てから泥だらけで私の家に帰って来た。でもやっぱり気性は変らなかった。可哀相だが飼い方の上手なひとに差し上げた。
△やさしい犬だよ、メス犬だよといって持ってくれたのが川柳仲間の遠山栄一さんだ。とても小さく、とてもいじらしかった。この「山々の顔」に嘗て登場してくれたのがその犬である。
△栄一さんは句会によく出席し、また私の家に来ると犬と遊んだ。仔が産まれるとみんなそれぞれに貰い手をさがしもしてくれた。ちょっと身体をいため川柳から遠去かった。お元気になることをのみ祈ったが九月二十三日に急逝した。
△弔辞のなかで次を添えた。
 秋の雨思い出に濡れわれも濡れ
雨はしきりに秋を告げていた。人生が旅なら、その旅で出会ったひとりである。そのひとりを喪い、雨は音もなく白く光った。ふとわが愛犬を偲んでいた。生あるもののいのちを思うのだった。